人の商品価値

世祓い:商品化より
 無くなりかけた気力を振り絞って書いているので、変なところはご勘弁を…。
 はり~のところのコメントにもそれっぽいことを書いたのだが、人の商品価値って、人格そのものに付けられるものじゃ無いと思う。
 仕事をする上での対価を得ようとする時が一番わかりやすいと思うが、大抵はその人の持つスキルに値段が付けられていくのではないかな。
 後天的に身に付けた技術以外にも、モデルをやっている人が、自分を磨き上げてギャラを上げていったりすることもあるだろう。
 ともかく、人に付けられる商品価値というのは、付ける側、付けられる側によって千差万別なわけだ。例えばオイラなんかは、フランス語の同時通訳を探している人にとっては、商品価値は¥0なわけだ。
 でも、だからといって自分の人格全てに対して無価値だという評価をされたわけではない。
 自分の商品価値を高めるということは、商品ってだけあって、あくまでも仕事(というか金銭ですかね)に絡むときに使えると思う。
 そういった「使いどころ」を考えずに、やたらと「商品価値」なんてことを言い出すと、あたかも人格そのものに値段が付けられているような気がして、「唯物的」なんていう批判的(?)なイメージを持つこともあるんじゃないかな。
 あ~、眠くなってきた。もう、寝よう…。

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コメント

  1. 世祓い より:

    商品価値

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