世祓いの戯れ言より
元々 blog はコンテンツフィルターとして発展してきたのだと思う。爆発するWeb の膨大なコンテンツから本当に有用な情報を抜き出し、仲間と共有するという機能だ。
確かにそういった面は、あるかもしれない。
オイラが一番最初にネットワークの可能性を感じたのは、まだ、Webなんていう概念が無かった頃、もう10年以上も前(うう、そんなに経つのか・・・)の学生時代のことだ。
Internetの電子メールも便利に感じたが、それ以上に興味を引いたのが、ネットニュースだった。Web上の掲示板に近いものだ。
これは、刺激的だった。有用な情報が、それこそ、あらゆる分野に渡って収集できる気がした。もちろん、中には、無益な論争を行い出す輩もいたが、全体的なモラルは今に比べると高かったように思う。
(そういえば、『ネチケット』なんていう言葉も、とんと聞きませんな)
そのうち、インターネットの利用が一般的になり、ネットニュースも、パソコン通信のニフティサーブなどからも利用できるようになると、状況は変わってきた。ニュースグループに関係無い広告を流したりするやつらが出てきてしまった。HarryのいうS/N比のノイズが大きくなってきてしまったのだ。
(最近、fjなんか全然、見ていないが、どうなっているんだろ?)
ただ、逆に大学などで使われていたインターネットが一般化してきたり、パソコン通信や草の根BBSというように、「パソコンが趣味」という人達の集まりだったものが、一般化してきたことによって、有益な情報の質は、より高くなってきているということはいえると思う。
この点は、
それでも、一部の先進マニアだけのツールだったブログが、ポータル等の無料サービスによって裾野が広がったことで、今まで日の目を見ることのなかったコンテンツにアクセスできる可能性が高まったメリットは大きい。
とHarryが言っているのは確かなのだ。
ワシとしては逆に、大陸を経由しないで孤島同士を結び付ける航路が無いものか、と模索しており、ブログというツールに期待するところでもあるのだ。
これに関しては、大陸を経由しないということに当てはまるのかどうなのかは、よく分からないが、blogではpingサーバなどを介して、孤島が日の目を見るチャンスが増えたということはあるかもしれない。
でも、やはり、チャンスは一瞬なのだな・・・。
ある程度、閉鎖されたコミュニティという意味では、昔、やっていたニフのPatioは面白かった。本来は、パスワードで完全に閉鎖されているのだが、オイラは掲示板でメンバーを募集し、入会審査をしたあとに、パスワード発行という手順を踏んでいたので、非常に良いコミュニティが出来上がった。オフ会なども年に1、2回はやっていた(メンバーが日本のあちこちに散らばっていたので、中々、全員は集まれなかったが)。
そういう意味では、閉鎖と開放、バーチャルとリアルをうまく組み合わせていくことが、より良いコミュニティを形成していく一つの方法であるとは言えるだろう。
コメント
まぁ、google マンセーなのは自己責任なのだろう。質を判断するのは人間、それも受け取る個人にしかできない訳で、Trackback や ping というツールに頼るのは限界がありそう。
ワシも fj が先だったんで、「教えて下さい」のようなタイトルとか全文引用などには腹を立てたものだが、慣れると無意識にフィルタリングしている自分がいる。それで見落とした物にお宝がある可能性もあるけど、自分で選別したのだから納得できるし。
メールの SPAM フィルターもひらがなの有無だけじゃ困るが、自分で必要な分を先に抜き出しておけば、差出人とタイトルからある程度判別できる。
そういう意味では RSS リーダーでサワリを見られるのはいいが、最初に要約を書くなんて論文みたいなことしないしね。
閉鎖と開放、バーチャルとリアル、という事ではソーシャルネットワークサービスが模索しているね。うまくいっているようには見えないけど。
そういう意味では RSS リーダーでサワリを見られるのはいいが、最初に要約を書くなんて論文みたいなことしないしね。
そっか。RSSの構造では、要約も付けられるんだっけ。
ココログでは、プラス or プロのプランじゃないと使えないから気づかなかった。
もっとも、この機能も、使いようによってはノイズを増やすだけですね。Blogの使い方によっては(論文を書くためのネタ集め限定とか)、非常に便利な機能になりそうだけど…。
自分が研究室にいるときに、今くらいインターネットが発達していたら、論文の書き方も、全然、違っていたかも。
ソーシャルネットワークサービスについては、うまくいっていないということは、改善の余地がまだまだあるんでしょうね。
でも、結局、最後は、ヒトの判断が入ってくるのかなぁ。