実経験と想像力

ZNZNZN:小学校6年生の……事件で思うこと。より

 子供をいくら無菌状態で育てても、巣立っていく場所はばい菌がうようよしているのだ。それならむやみに敵を排除することはせず、開放してやること、多少の挫折も、大人が口をだしてやれる年齢のうちに経験しておくべきだな、と思う。

先の記事へのコメントから、上記の記事を読んだ。
オイラも引用部分に関しては同意見である。現実世界を変えていかない限り、問題を先延ばししても、何の解決にもならないのだ。むしろ、その対処方法を真剣に教えるべきである。
その後、同じ方が書いている、もう一つの記事からの引用

 まだたったの8ヶ月間だが子供を育ててみて思うけれど、(呼吸とか母乳を飲むとか本能の部分は別として)「体感しなくても、経験しなくてもできることなんて、なにひとつない」。

ここに関しては、半分だけ賛成かな…。
オイラは前の記事で、「想像力」ということを書いた。
実体験が想像力を豊かにするのは確かだ。
しかし、体感・経験しなくてもできることが無いということは無いとも思っている。
人によっては、それは傲慢だと思う人もいるかもしれないが、人間の歴史というのは想像力によって発展してきたのだということをオイラは信じたい。
何が言いたいのかというと・・・。
人は、他者の経験・体験、感情、痛みを共有できる存在だと思うのだ。
別に、精神論とか、宗教論に走っているわけじゃなくてね(笑)。
普通の人なんて、人生、いいとこ100年も生きないでしょ?
その中で、自分で体験できることなんて、たかが知れている。
だからこそ、一つ一つの経験を、大切にしていかなければならないのと同時に、他の人の経験をも自分のもののように感じる感受性や想像力が大切なのだと思う。
今の子供たちの世界がどうなっているのか。
自分たちが子供の時と、どう違うのか。
彼らの環境が違っているという表面的なことだけではなく、我々の方が変な先入観無しで、想像していかなければならないだろう。
自分たちが、その世界に入って、彼らと同等の立場で彼らのコミュニティーを経験することなど到底出来ないのだから。

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コメント

  1. zinc より:

     トラックバックありがとうございます。子供を風呂に入れる前に書いて、風呂の後に寝かしつけて帰ってきたらもう記事があったのでビックリしました(笑)。
     「なにひとつない」と書いたのは、ちょっと断定的すぎるかなと思ってはいたんですが(笑)、近頃ようやく寝返りがうてるようになったうちの息子、寝返りがうてるようになるまでに「ああ、どうしてその右手が邪魔だから寝返りうてないって気付かないんだ!」なんて思っていたのが、何度かの失敗を繰り返した後にできるようになった……というようなところから来た意見でした。私のいった体感というのは、ひでぽんさんのおっしゃる「他人の経験」に触れる体験ということも含まれています。アタマの柔らかいうちに、色んなものに触れさせてやりたいと思います。
     ちょっとまた、表現が適切でないかもしれないですがご容赦ください。問題は、どうやって経験させるかなんですよねえ……。
     今後ともよろしくお願いします^^

  2. zinc より:

     ごめんなさい、連続で。
    「他人の経験に触れるということも含まれて」いるというより、それがメインです。書き方が悪かったです。仰るとおり、自分ひとりで経験できるものなんて限られています。でも良く考えたら、他人の経験に触れるって、バーチャルな体験ですよね。バーチャル世界がもっとリアルになればいいのか……って、それは逆に恐いですかね(笑)。
     失礼しましたー!

  3. ひでぽん より:

    zincさん、コメントありがとうございます。
    >良く考えたら、他人の経験に触れるって、バーチャルな体験ですよね。バーチャル世界がもっとリアルになればいいのか……って、それは逆に恐いですかね(笑)。
     これが正に、先の記事で書いた「メディアの影響」ってところで、バーチャルな体験が、そう捉えられなくなってきている面もあるのかなって少し感じます。
     想像と妄想ってことも書きましたけど、様々な想像を行い、それを現実に活かせる力の根源の部分は豊かな体験にあるのかもしれませんね。
     あと、生理学的な面から見るとどうなんだろ?
     とか、ちょっと考えたりする。