子供とインターネットその3 Part 2

「ネット上の言葉により、自身が規制される」ということに関してだが、人間の心っていうのは、常に多面性を持っていると思う。
何年か前、「24人のビリーミリガン」という本が流行ったことがあったと思うが、そのような多重人格者でなくても、普段の生活に満足している一方、別の生活を夢見てみたり、安定と刺激を同時に求めたりということは、よくあることだ。
特に、上記の本の中では、幼少時の虐待が多重人格障害を引き起こしたというようなことが書いてあったように記憶しているが、そこまでの事態にならなくても、過剰な刺激による人格形成への影響というのはあり得るだろう。
そこにネットの匿名性という特性が加われば、確かに、異常な人格というものは、リアルな世界よりは発現しやすいということはあるのかもしれない。それが、まだ、成長過程における子供であればあるほど。
与えられる刺激量と、成長の速度のバランスが取れていないことが問題の一つではあるな…。
では、そのバランスを取る方法というのは、どのようなものがあるのか考えてみる必要がある。
成長の速度に合わせて、刺激を少なくするか、刺激に合わせて成長させるか。
前者を選択するのであれば、ネット使用の制限というのは、妥当な選択だろう。
後者を選択するのであれば、成長というのは元々、周りの刺激によって促されるのであるのだから、良い(と思われる)刺激と悪影響を与える刺激をバランス良く与えると共に、それぞれの刺激に対処する方法を外部から与え、子供自らも身に付けられるように手助けしてやる必要があるか。
上に書いたような、心の多面性については、多分、親の方にもあるだろう。
ネットの使用を禁止しても、大前研一が「これからのビジネスマンにはITと英語と財務のスキルが必要だ」と言えば、早いうちからそのスキルを伸ばしてやりたいと思う親も少なくは無いだろう(と、思う)。
そういった多面性がどこから生まれるのか考えてみる…。
ここから、ひでぽん的勝手な心理学っぽい推測
心理学なんか、大学の教養課程でやったきりだから、全然知らないが、確か、自我ってのはスーパーエゴとエゴとエスに分けられるんだっけ?(フロイトだったか?)
で、やっぱりこの「エゴ」の部分がしっかり形成される前に、過剰な情報によるスーパーエゴとエスの肥大が心のバランスを崩すということはあるのかなって思う(オイラの勝手な推測なので、心理学に詳しい人は、間違っているところを御指摘ください)。
スーパーエゴってのは、後天的に社会から影響されて形作られるものだから、リアルだろうが、バーチャルだろうが、自分が関わるコミュニティーが広がれば広がるほど、影響は受けるだろう。
エスの部分も本能とはいっても、同じく、周囲の刺激により、肥大化するものではないかな?
結局、スーパーエゴもエスも、成長過程で形作られるエゴによりコントロールされるべきものだが、それが形作られる前にスーパーエゴ、エスが肥大化するから、それらに振り回される可能性が出てくるのかも。
その状況をインターネットが加速するという考え方も、あながち的外れではないな。
でも、やはり、オイラはツールは使いこなせるように教育していくべきだと思っている。
特にITなんかはね(これは、単なる個人的思い)。
これによって、広がる可能性を信じているし、実感もしているからだ。
以前、閉鎖と開放、バーチャルとリアルをうまく組み合わせていくことが、より良いコミュニティを形成していく一つの方法であるということを書いたことがあるが、これについては今でも同意見である。
うーん、オチがつかないまま終わってしまったぞ。
–追記
はり~のところにトラックバックしておきました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする