「べき」と思ってたって良いじゃん

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「〇〇すべき」、「△△ねばならない」、「~~はず」

そんな「べき」「ねば」「はず」という価値観に縛られている人は、少なからずいるようで、そういった価値観に縛られている自分が好きになれないという人も多いようです。

「品行方正である『べき』」
「仕事は全力を尽くさ『ねば』ならない」
「周りの人は、自分に期待してくれている『はず』」

自分自身は、どっちかというと(非常に)、そういったこだわりは薄く、「まあ、そういうこともあるか~」みたいな適当な感じで日々を送っていますし、法律を始めとしたルールも、状況・環境の変化に合わせて、どんどん変えていくべきだという考えです(ルール至上主義ではないです)。

最初に書いた「べき」「ねば」「はず」といった価値観に縛られている自分が好きになれない人たちが、そういう価値観を壊され、「もっと楽に生きて良いんだよ」という価値観を植え付けられると、一気にそっちの方向に価値観が振れてしまう場合があります。
もちろん、人に迷惑をかけない限り、自分の人生が楽になる考え方・思考パターンになって良いと思いますが、元の価値観が崩れ去り、違う価値観で生きようと頑張っている人たちを見ると、ちょっとイタい感じがすることもあります。

なぜって?
それは、せっかく「べき」思考から抜け出せるきっかけがあったのに、また

「べき思考」から抜け出す『べき

という、同じ思考パターンに陥っているから。

「べき」思考が、なぜ不自由で、心の苦しみを生み出すことが多いのか?
その理由はいくつかあります。

まず一つ目に、「べき」という「ルール」にだけ縛られ、視野が狭くなることで、選択肢が限定されてしまうという不自由さ。窮屈さを感じるということがあるでしょう。
「できないこと」を探すより「やってもいいこと」を探した方が、人間のパフォーマンスは格段に上がるという実験を御存じでしょうか?

被験者にわからないように、ある品物を部屋の中に隠し、それを見つけてもらうという実験で、

(Aパターン)
被験者が、品物がある場所と違う方向を向いたり、遠ざかったりするたびにベルを鳴らす
(Bパターン)
被験者が、品物がある場所と同じ方向を向いたり、近づいたりするたびにベルを鳴らす

 というルールの下、品物を探してもらいます。

Aパターンでは、被験者は何かするたびにブレーキをかけられるので、最後には品物を見つけられずにギブアップしてしまい、Bパターンでは、被験者は正しい行動に対して後押しされる状況になるので、自由度が高く、様々な試行錯誤を行って、品物を見つけだすことができるという実験です。

二つ目の理由は、「べき」というルールが、自分自身で納得して課したルールではなく、社会の慣習や、親を含む自分以外の人から与えられただけのルールである場合があること。
つまり、自分自身が納得しないまま、そのルールに従っているため、それを守ることにストレスを感じているということです。

三つ目は、「べき」と考えて、自分に課しているルールが守れなかった場合、あるいは、他の人が、自分のルールに従わず、期待する行動をしてくれないことに対するストレスです。自分自身で考えている理想像と現実とのギャップから来るストレスです。

これら、3つの理由からくる不自由さ、ストレスから解放されるには、単に、考えている「べき」「はず」「ねば」に対して「本当に?」と問いかけてみるだけです。
経験的に感じていた「べき」の理由が、きちんと答えられるか?
「そう決まっているから」「そう言われているから」ではなく、突き詰めて考えたことがあるか?というところがポイントです。もし、「べき」にとらわれている人が、ここを読んでいたら、ちょっと試してみてください。

ところで、「べき」「はず」「ねば」と考えて行動することは、そんなに悪いことでしょうか?
(「本当に」、『べき思考』は悪い?と考えてみましょう)

そもそも、なぜ「べき」という思考が発生するのでしょうか?

生物は、進化の過程で
できるだけ少ないエネルギーで、多くの利益を得る
ように進化してきています。草食動物が植物を食べ、肉食動物が草食動物を捕食することを考えてもらうとわかりやすいでしょうか?
要するに、できるだけ「楽」をして生きていくように進化してきているということです。
では、できるだけ少ないエネルギー(コスト)でというのは、どういうことでしょうか?

人間の世界で、コストは大きく以下の通り

  1. 経済的コスト(お金)
  2. 頭脳的コスト(考えること)
  3. 時間的コスト(時間)
  4. 肉体的コスト(手間・労力)
  5. 精神的コスト(他人を気にすること)

の5種類に分けられます。

考えること」というのも、できるだけしない方が楽に生きられるわけです。
考えなくて済むようにする方法が「他人に考えを委ねる」「ルールに従って生きる」ということです。
つまり、「べき」というルールに従って行動するということは、ある側面から見れば、非常に効率的で、賢い生き方であるということも言えるわけです。
問題は、そのルールが、自分にとって正しいルールであるかどうか?ということ。
そして、その価値観を他人に押し付けていないか?
ということです。

自分自身で決意して、「〇〇すべき」と決めたルールに従って生きるのは、強い意志で目標に向かって頑張っている素晴らしい生き方ですよね。

「べき」という生き方に疲れている人たちには、「べき」を放棄して、無責任な生き方を選ぶのではなく、

“Think! And do it!”

という言葉を送りたいと思います。
 別に、「べき」と思ってたって良いじゃん!

自由に生きるということは、責任を伴い、大変なこともありますが、とても幸せな生き方です。
「べき」で生きるなら、自分で決めた「べき」で生きましょう。
逆に、自分で決めた「べき」(「べき」を捨てる「べき」もですw)を、他人に押し付けるのは、ポジティブバカと一緒で、かっこ悪いですよ。

鎖

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