好きなことと楽なこと

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たった一度の人生です。
好きなことだけやって生きていければ、こんなに幸せなことはないと思います。
(もちろん、人に迷惑をかけなければという前提はありますが(笑))

実際、何か結果を出している人というのは、好きなこと、やりたいことをトコトン突き詰めてやってきた人たちではないかという気がします。

好きなこと、自分が心から楽しいと思えることをやっていれば、自分自身の成長にもつながってきますしね。

ところが、この「好きなこと」っていうことを「楽すること」と混同している人が凄く多いように感じています。
人間の行動原理は2つ。

持っていない何かを得ること」と「持っている何かを失わないこと

上に書いた「好きなことをやって」結果を出している人というのは、「持っていない何かを得る」ために頑張っている人。
ここで「頑張る」っていうのは、必ずしも「苦労する」っていうことではない。
人から見れば「大変だね~」なんて言われそうなことでも、当の本人からしてみれば、別に大変だとも、苦労しているとも思っていないっていうことはたくさんある。
どういうわけか「頑張る」=「苦労する」みたいに思っている人が多いから、成長したり結果を出したりすることを躊躇したり、ブレーキがかかったりする人も多くなってしまう。また、ここに付け込んで「頑張らなくても結果が出せる」みたいに煽っている人たちもたくさん出てくる。頑張るっていうのは、持っているエネルギーを失うことだからね。
(実際、まともな出版社の編集さんとかと話をすると、ノウハウ本や簡単に結果が出せるようなことが書いてある本は、企画が通りやすいらしいです。売れるからw)

繰り返すけれど、頑張るということは、別に苦しむということじゃない。
例えば、マラソンが趣味の人っていっぱいいますけど、走るのが嫌いな人から見たら、苦しそうだし辛そうだし、「何でわざわざ金払ってまで辛い思いしてるの?」って思うわけだけれども、当の本人たちは楽しいから走っているわけだし、練習しているわけですよね。そして、日々、走ったり練習したりして、自分自身の実力をストレッチしていって、速く走ったり、長く走ったりできるようになる。
走ることだけじゃなく、ボディービルのように筋肉を鍛えたりするのも同じ。
少しずつ自分に負荷をかけて、自分自身を成長させている。でもそれは頑張っているけれども苦しんでいるわけじゃない。

体に楽なことだけやっていれば、理想の体、理想の運動能力が身につく

なんてことを言うトレーナーはいないでしょう。もちろん、過剰な負荷をかけたり、根性論で非科学的なトレーニングを続けていれば体を壊しちゃいますけどね。

体を鍛えるっていうのは、わかりやすいのかもしれない。目に見えるから。
ところが、これが心の問題になると、とたんに、自分の都合の良いように考え出す人が多い。目に見えにくいっていうこともあるのかもしれないし、それだからこそ自分に都合の良いように捉える、あるいはそういう人が多いのことを悪用する「悪い奴」が多いからでしょうね。

「好きなことだけやっていれば成功できる」

というのは、とても魅力的な考え方だし、自分もそうだと思っているけれども、それは「楽なことだけやっていれば成功できる」ということとは、似て非なるものだということは断言できる。

マズローの5段階欲求説を出すまでもなく、人間には帰属欲求、承認欲求というものがあるので、そこを突かれると、そういう考えに嵌っていく人が多いというのもわからなくもない。
嵌っていく人の特徴は、ものすごく単純。

「自己肯定感が低く、承認欲求が強い」

これに尽きる。

自己肯定感が極端に低くなければ、それを高めるべく頑張ろうと思うのだが、そこまで頑張ることができない(理由は、上に書いた通り「頑張る」=「苦労する」と思っているから)。
自己肯定感を自分で高めることができないのに、承認欲求が無くなるわけじゃないので、どんな形であれ自分を承認してくれる人に傾倒(実は依存)していくようになっていく。言われた本人は腹立たしい(あるいは認めない)かもしれないが、実にわかりやすい。
自己肯定感が低いから疎外感を感じ、自分と同じようなコミュニティに属しようとする。
そして、承認欲求を満たしてくれる人たちの言っていることが本当だと信じたくなり、実際、その考え方しか受け入れなくなっていく。
これが洗脳の手口。

マラソンの例でも話したように、楽な考えかた、自分と同じ考え方だけを受け入れていると、心は楽になっているように見えて、実は、心は委縮し、視野は狭くなり、何かに依存しないと生きていけなくなっていく。

何かに依存するということは、ちょっと考えてみれば、とても怖いことだということは容易にわかるはず。

  • アルコール依存症
  • ニコチン依存症
  • 薬物依存症
  • パチンコ依存症
  • 買い物依存症 etc.

アルコール依存症の人は、お酒を飲んでいるときは楽しいかもしれない。
薬物依存症の人は、薬物を摂取した時は万能感を得ているのかもしれない

でも、それらの人たちが、どうして依存症から脱したいと思うのか?
それは、それらから自由になったときに、より素晴らしい世界が広がっているということを知っているから。
(知らない人は、そのまま依存症でいるんでしょうけどね)

さて、話を戻すと、心の問題でも「楽なこと」だけしていても、心は豊かにはならない。

最近、ワーク・ライフ・バランスということがよく言われるようになってきていますが、もう一歩進めて、ワーク・ライフ・インテグレーション(仕事と人生の統合)、あるいは、ワーク・アズ・ライフ(仕事のための人生)となっていくべきで、そうなってこそ人生が真の意味で楽しめるようになってくるでしょう。

自己肯定感、あるいは承認欲求を満たしてくれるのは、自分自身しかいません。
外部にそれを求めている限り、そこに依存する自分から脱することはできないでしょう。
「嫌われる勇気」で有名になったアドラー心理学でも、全く同じようなことを言っていますね。
今の自分を肯定しながら、どのように自らが望む未来への一歩を踏み出すか。それが大切です。
(アドラー心理学では「褒める」ことも否定していましたね)

そういえば、仕事の話で言えば、ホリエモンこと堀江貴文氏が、こんなことを言っています。

「仕事は方法論とか差別化とかじゃねーよ!成功する人は才能があるうえで人の何十倍も努力してる」
http://netgeek.biz/archives/31394

これは、全くその通りだと思います。でも、これは苦労しろっていうことじゃなく、努力しろってことです。楽なことに流れてても結果は出ませんっていうこと。

自己の心や思考を成長させるには、某都知事が言って有名になった aufheben という言葉が参考になるのではないかと思います。

これは日本語では「止揚」と訳されますが、ヘーゲルの弁証法で説明されている言葉で、矛盾する要素を統合し、より高い段階に発展させることと言えば良いでしょうか。

東西に走る道路と南北に走る道路は、平面上で見れば、どこかで交差点を作りますが、立体的に見れば、立体交差させることによってお互いにぶつかり合うことなく走ることができます。
これと同じで、「私の考えが正しい、あなたの考えは間違っている」と否定し、排除するのではなく、より高い視点、広い視野を持ってみたときに、どのように高次の考え方になるのかを考えていくことによって自分自身の成長につながるのではないでしょうか。

インチキな教祖や指導者は、他の考え方を排除したり否定したりします。だって、カモを洗脳することができなくなるから(笑)。

あなたは、自分自身の未来をどうしたいですか?
自由で幸せな未来を目指しますか?
何かに依存して、一時的な快楽だけを追い求めますか?

幸せな未来

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