年末に、ちょっとした爆弾を投下してしまった心屋仁之助氏。
書いてしまってから、いろいろと思うことがあったのか、一部消した記事を再投稿したり、言い訳してみたり、いろいろと忙しそうですが、まあ、身から出た錆ということで仕方ないと思って頂くしかない。
(ちなみに、そのあたりの情報は、こちらのブログを御参考に→https://takehisayuriko.tokyo/2019/12/31/9016/)
この爆弾に関して、あるブログ記事が書かれた。
いつまでも「無力な者のフリしてんな!」
書いたのは、八木龍平という男。
リュウ博士と呼ばれ、『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』という本の著者。
子宮委員長はる とか名乗っていた女性の旦那さんでもある。
(ちなみに、僕はこういう、あたかもアカデミックなふりをしてスピを語る人間が大嫌いである)
心屋氏の年末の爆弾発言に関して思うところを書いている。
この男は嫌いだが、この記事に関しては、まあ、真っ当なことを書いているように思える。
これに対して、心屋氏がFacebookでファビョった。
なぜ発表したのかその理由も知らずに想像だけでよくこんなこと上から書けるなこいつ ワシが一度でもキミを攻撃したのか?!応援したことはあっても。
心屋仁之助さんの投稿 2020年1月3日金曜日
消されるかもしれないから、一応、スクショ。
自分のこと書かれて面白くなかったんだろうね。
自分が今まで好き放題言ってきたことを考えれば、多少、批判されたって「ハイハイ」と構えていれば良いと思うのだが、小さい男だなーと思う。
というか、「心屋氏は批判されるために生まれてきたんだから、批判したくもないリュウ博士に批判させた」のではないのだろうか?(笑)
ところで、一昨年、ある精神科医が心屋氏の「叩かれるために生まれてきた娘」の発言に対して批評・分析・説明したところ、それに対する反論ブログをアップした。
精神科医の分析記事 ↓
「心理学ではなく新興宗教」精神科医が、人気カウンセラー・心屋仁之助氏の「娘叩く母」肯定を斬る
https://www.cyzowoman.com/2018/09/post_201317_1.html
心屋氏の反論(魚拓) ↓
★【閲覧注意】精神科医が、人気カウンセラー・心屋仁之助氏の「娘叩く母」肯定を斬る
http://archive.md/0MjMa
この反論記事と、今回のFacebookでの書き込みを比べてみると、ちょっとした共通点に気づくかもしれない。
精神科医 片田珠美氏の批評に対しては、
「あなたたちのこと悪く言ったり、攻撃したり、不利益を与えた覚え、いちども無いんですけど?」
と反論し、今回の八木龍平に対しては
「ワシが一度でもキミを攻撃したのか?!」
と返す。
どちらにも共通しているのは、自分の目の前の相手(直接対峙している相手)に対して直接被害を与えていなければ、自分に罪は無いと考える、本当に幼稚な思考パターンしか持っていないということ。
彼が、何故こんなにも多くの人から批判を受けているのか、根本的なところが理解できていないのではないかと思う。
以前、「抽象化と人の成長・進化について」というブログでも紹介したのだが、ピアジェの「思考発達段階説」によれば、幼児の成長は以下のように進むらしい。
- 1段階目:感覚運動期(0~2歳)
- 2段階目:前操作期(2~7歳)
- 3段階目:具体的操作期(7~12歳)
- 4段階目:形式的操作期(12歳~成人まで)
目の前のことしか理解できないというのは、感覚運動期にあたる。
つまり自分と自分以外の概念が無く、目の前に見えているものだけが世界の全てということで、非常に原始的で幼稚な思考であると言える。
心屋氏が2歳児くらいの知能ということは流石に無いだろうが(笑)、少なくとも物事の捉え方(その傾向)として、目の前のことだけに目が向きやすいということは言えるだろう。
実は、心屋氏のこの傾向については、一昨年の暮れから始めた、心屋信者との意見交換の中でも同じ考察をしている
3. これが最重要ポイントだと思いますが、心屋氏には「目の前の人しか見えていない」から
— 本田秀行 NBIコンサルティング株式会社 (@itchidepon) December 17, 2018
(意見交換のまとめは https://togetter.com/li/1297896 からどうぞ)
心屋氏とその信者に学んで欲しいと思うのは、
たとえ、自分が意識していなくても、自分の外側に世界は広がっているし、自分の言葉、行動の一つ一つは、どこにどのような影響を与えていくか全くわからないのだ。
もちろん、人は生きていくにあたって、たくさんの人に関わり、場合によっては迷惑をかけてしまったりすることもある。
それを気にし過ぎて、自分の人生を縛りつける必要は無いが、だからといって、自分の言動に責任を持たなくても良いということにはならない。
これまた以前、ブログに書いたことだが、
大人になるということは「自分の言動の影響を正しく把握できるようになる」ということ
いつまでも、責任を取らなくても良い子供のままでいることはできないのです。
コメント
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