心屋仁之助氏は、今までの心理学と違うのか?

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重要保存記事と書いてあったので、どんなことが書いてあるかと読んでみた。

この記事では、彼に寄せられたコメントで

今見たこともない世界にいます。

(略)

今まで仁さんが(叩かれるの覚悟で?)
投げかけてくれた言葉で、私救われました(*^^*)

仁さんに出会えて本当に良かった!
とっても優しい仁さん。ありがとう。

というものを紹介していました。

それに対して彼は

そうか
そうだったのか!と。

と、彼が感じたことを述べています。

彼が感じていた世の心理学には

世間という枠のなかに
ルールの中に

どれだけ自分を押し込めるのか
ガマンするのか

折り合いをつけるのか
相手を変えるのか

どうすれば、
愛され、得をするのか

っていうことが書いてある

らしい。
(「気のせいだったらごめんなさい」とは書いてありましたがw)

それに対して、彼は

枠を壊すことで解決=自由になる、本来の自分の生き方に戻る。

ということをやりたくて、やっているらしい。


正直、何を言っているかよくわからなかった。

…というか、言っていることは、ある意味「嫌われる勇気」で有名になったアドラー心理学で言っていることにも通じ、周囲との摩擦を恐れることなく自分の思いを伝える必要があるということだと思います(そういう意味では、今までの心理学と違う…と言っていますが、実は全然違わない。まあ、先に誰が言っているとかいうことも、それ程、重要なことだとも思いませんが)。

僕自身は、全然ルール至上主義じゃありませんし、世の中の状況が変わればルールの方をどんどん変えていった方が良いと思います。
ただ、それは気に食わなければルールを破って良いと言っているわけではありませんし、ルールを破ることを推奨しているわけでもありません。

以下は2年ほど前に書いたブログです。

「〇〇すべき」、「△△ねばならない」、「~~はず」 そんな「べき」「ねば」「はず」という価値観に縛られている人は、少なからずいるようで...

押し付けられたルールに縛られすぎるのも窮屈ですが、一方で全くルールの無い環境で過ごすというのも、本当に幸せなのかは考えた方が良いと思います。

要するに、ルールを守るにしろ変えていくにしろ、きちんと自分の頭で考えた方が良いということです。

心屋氏のブログに戻ります。

彼はこのように続けています。

迷惑かけないように自分をガマンさせて
その結果不満だらけになって
周りに当たり散らす人の方が僕は迷惑だと思う。

ああ「僕は」ね。

もうこの辺りから、僕の中では支離滅裂になってきている気がします。

迷惑かけないように我慢して、周りに当たり散らすほうが迷惑?

いや、どっちも迷惑でしょw

当たり散らしたら迷惑だから、迷惑かけて良いわけじゃないですよね。
書いてて意味がわからなくなってきたw

彼が書いていることは、時々は正しいと思います。
それでいて、変な結論に至るのは、彼がおかしいのか、考えていないのか、バカなのか、天才なのか?

「正しい」を頑なに守るのは
自信のないひとだから、だと思うのです。

これはそういう人も多いとは思います。
自信がなくて常識に従っている人。
でも、一方で自分で考えた上で世の中に従っている人もまた多くいる。

そのように「正しい」を守る人には、いろいろな判断で守っている人がいるはずなのに、あたかも「正しい」人が自信のない人であるかのように思わせる言葉のレトリック。
意図的なのか、天然なのか、単なる浅慮なのか?

「正しい」がひとを傷つけることもある

そのとおり。
でも「正しい」が人を守ることもある

心屋さん

あなたの言う正しいは単に「多勢に従う」ということなのか?
もしそうであるのなら、
クラスの中で、多数の集団からいじめに遭っている友人を助けるのは「正しい」のか「正しくない」のか?
教室の中ではいじめは「正しく」て、より広い世界に出たときはクラスの子供たちは少数派だから「正しくなく」なると言いたいのかな?

戦争になれば、立場の違いによって正しい、正しくないは違ってくる。
正義なんて相対的なもの
というのは、古来ずっと言われ、考えられていること
別に心屋さんが初めて考えたことでもない。

ではなぜ、心屋さんの思うような世界になっていないのか?

そこに欠陥があるから…です。

人が人と関わりあう社会の中で、相手の迷惑を考えず、自分の思い通りにすることによって現れる世界がどのようなものかは、以前に書いたブログの通り

己の欲せざる所は人に施すことなかれ 論語の言葉です。 子貢問曰。有一言而可以終身行之者乎。 子曰。其恕乎。己所不欲。勿施於人。 ...

心屋氏は

「正しい」を頑なに守るのは
自信のないひとだから、だと思うのです。

というところまで理解しているのだから(という前提で語ります)、自信を持たせてあげればいい。
そしてそれは、「○○してもいい」なんていうことではなく、しっかりとしたアサーティブ・コミュニケーションを伝えていくべきなのだろうと思います。
(「普通の」「ちゃんとした」心理学、やれないしやりたくないし…ではなく)

人間の自己主張の方法には

  • ノンアサーティブ(非主張型)
  • アグレッシブ(攻撃型)
  • アサーティブ(主張と尊重)

3種類があると言われています。

ノンアサーティブは、相手の気持ちや意見を考えることができる一方で、自分の気持ちや意見を伝えることができない、もしくは苦手と感じるタイプです。

心屋氏が言っているのは、そして心屋氏に心酔する人の多くは、恐らくこのタイプではないかと想像できます。

一方で、アグレッシブは攻撃タイプを意味し、自身の気持ちや意見を主張することができる一方で、相手の気持ちや意見を尊重できていないタイプです。

ノンアサーティブであることを悩んでいる人に対してアグレッシブになれといい、実際にそれを強制した場合、人によっては強烈な快感を感じるでしょう。
それまで抑うつされていればいるほどそういう傾向にあるかもしれません。
それは、以前書いたブログ記事の通り。

twitterを巡っていると、色々と刺激を受けて、考えが整理されてくることがある。 というわけで、ちょっと思いついたので書いておこう。 ...

しかし、本当に必要なのはアサーティブであることで、自分の気持・意見を相手に伝えながらも同時に相手の気持ちや意見を尊重するということが必要です。

心屋さんは、自分がやろうとしていることが画期的で特別などということは思わず、本当に悩んでいる人を何とかしてあげたいと思っているのであれば、真摯に既存の心理学やカウンセリング手法、コミュニケーション手法について学んだ方が良い。

逆に、単に自分のやってきたことを正当化したいだけなら、周りの声なんか関係なく、自分の好きなようにするのでしょうから、まあ、色々と言われても仕方ないですね。

でも、僕のブログでは毎度書いていることなのですが、自分のやっていることをイエス・キリストやオスカー・シンドラー杉原千畝に喩えるのは、すごくかっこ悪いし、自己の欲望の解放ではなく、虐げられていた他者を救うために身の危険を顧みずルールを破った彼らに対してすごく失礼だと思います。

…って、こんなに何度も同じような指摘が出るっていうことは、やっぱりこういう利己的な部分が心屋氏の本質なんですかねぇ…。

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