自分を愛するということ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

いくつかブログを持っているので、どこに書こうかなぁ~と思ったのですが、取り敢えずこのブログに書いておこう。

昨年12月に、お隣の韓国が海自の哨戒機にレーダー照射した事件で、何故か今度は韓国側が日本に謝罪要求するという謎の行動に出ています。
(いつものことと言うなかれ(笑))

取り敢えず、その件に関しては、いろいろなブログでも書かれているので、ここでは省略。
リンク先等から、読んでみて、ご自分で判断してください。

”【初笑】レーダー照射で韓国が日本への謝罪を要求するってよ。”

で、この件でちょっと思い出したのが、もう9年近くも前のツイッターのやりとり。

ネット上での有名人だったらしいのですが、「愛国心」という言葉に異常に反応する人がいて(今でも国歌とか国旗とかに異常に反応する人たちがいますよね?あんな感じ?)、ツイッターで

という発言をしたところ、変に喰い付いてきた。
相手の発言はもう消えてしまっているのですが(あちこちで叩かれてたから削除した?)、

「自国中心主義じゃなきゃ愛国心とは言えない」

という主張。

僕の方は、引用した発言にもあるとおり、自国中心主義と愛国心とは違うという立場で、自国中心主義というのは、今、トランプ政権とかで話題になっているようなもの。
今の日本のマスコミではポピュリズムとか言われていることが多いが、むしろナショナリズムの方が近いかも(つーか、民主主義って基本的にポピュリズムじゃんw)。

そのやりとりが以下。


僕のツイートにもあるように、他国の文化などを蔑むことが愛国心とは思いません。
むしろそれは、自国に誇りを持てないから、他国を貶めることによって相対的に自国を高く見做したいという恥ずかしい思考だと思っています。

そして、この人。愛国心の強さと他国を憎悪する強さは正比例するとか言い出す。

最終的には、「そのような愛国心を実践してる国があるんでしょうか?」とか言い出すわけですが…

※別アカで残っているのがあったので、一応、どんな人なのかリンク
https://twitter.com/Dr_Qual1ty


さて、上の例は国に対する愛国心ということについてのやり取りでしたが、これは個人に対しても同じことをいうことができると思います。

自分自身を認め、自分自身を愛するということは、他の人に対して優越感を感じるということではないと思います。

また、同様に他者からの評価・称賛を求めるということとも違うと思います。

自分自身に自信が持てない、他者との比較でしか自分の存在意義を感じられない人が、他者からの評価を気にしたり、他者を貶めたりし始めます。

何度か、このブログでも書いていますが

この世界が理想的であるために、自分はどのような役割を果たすべきか

それを考えたときに、他者からの評価や上下関係を気にする必要は無くなると思います。

たまに、勝ち負けに異常に拘る人、勝ち負けでしか物事を語れない人がいますが、話していると疲れちゃいますし、その人自身は、何のために生まれてきたと思って生きているんでしょうね?

勝ち負けを気にしないと、もし世界に自分一人になったとしても自分の役割を果たすだけですが、勝ち負けにしか価値を見いだせない、あるいは人の評価だけにしか価値を見出だせないのだと、自分一人になったときには、何をしたら良いか途方に暮れちゃうんじゃないでしょうかね?

マズローの5段階欲求説で言えば、承認欲求よりは自己実現欲求の方が、より高い欲求であるということとも関係するでしょうか。
(他者からの)承認欲求が強すぎると、自己実現欲求が、なかなか現れてくることがなく、自分が本当にやるべきこと、成し遂げたいことについて考える余裕が無いのかもしれませんね。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学・思想情報へ
にほんブログ村

自己愛

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする