生きるということ

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某心屋くんのブログにインスパイアされたので(棒)、またちょっと記事を書いてみよう。

彼の書いているように、水は高いところから低いところに流れるし、空気も気圧の高い方から低い方へと流れて風になる。
この世界はそれが自然であたりまえのこと。

それは、物理学的に言えば

エントロピーが増大する方向に進む

ということで、わかりやすく言えば、乱雑さが増していくことと考えて良い。
部屋は意識的に片付けなければ、どんどん散らかっていく。

そしてエントロピーが最大まで増大した状態が熱的死。この状態では、世界は均一になり、そこからは何も変化しなくなる。

さて、そんな感じで、自然界では、一般的にエントロピーは増大していくのだが、ちょっと生命現象を考えてみる。
もちろん、大きな括りで言えば生命活動も自然の一部なので、エントロピーは増大していくのだが、ある一個の生命体(個体)を考えると、外部から何かを取り込み(食物など)、自己組織化し、自分自身の体を形作っていく。
これは、その個体内で考えたときにはエントロピーを減少させているということ。
要は、心屋くん的に言えば「不自然」ということだ。

ある生命体が死んでしまえば、エントロピーは増大する。
体は崩れ、腐っていく。

生きるっていうのは、そもそもがそういうことなのだ。

低いところから、高いところに流そうとするということは、良いこと・悪いことということではなく、生きることそのものだということもできる。

以前、こういうブログを書いたことがある

たった一度の人生です。 好きなことだけやって生きていければ、こんなに幸せなことはないと思います。 (もちろん、人に迷惑をかけなければとい...

自然に任せるというのは、エネルギーを使わないことなので「楽」なことではある。
ただし、状態は乱雑になり、エネルギー状態は低くなっていく。

望む結果を「作ろう」でも、流れに乗ってみようでも良いのだが、目指すべき姿を見据えた上で行動しなければ、悲惨な結果を生む可能性の方が高い。

無謀にも空を飛ぼうとして命を落とした人間がどれだけいることか…。

※自分の発明で死亡した人々

何かを成し遂げるときに勇気は必要。
でもそれは無謀であることとは違う。

繰り返しになるが、生きるということは、ある意味、自然に逆らうということなのだ。
だが、そこには努力と工夫とエネルギーが必要なのは当然のことで、結果だけは欲しいがそれを得るための努力はしないということであれば、上の動画のように、単に死を招くだけ。

崖から飛び降りれば「たまたま」上昇気流に乗って空を飛べるわけでもないし、川に飛び込んでみれば、「たまたま」幸せの国に流れ着くなどということもない。
そんな奇跡任せの人生は見の破滅を招くだけ。

人事を尽くして天命を待つ

という言葉があるが、やるべきことをやり尽くした後に「思っていたのと違う」結果が出てしまうのは、心屋くんの言う通り素敵なことだろう。
しかし、そうではなく「思っていたのと違う」結果が出てしまい、それが自分にとって好ましくない結果であったときには

「あの時、こうしておけば良かった」

という後悔ばかりが心に浮かんでくる可能性が高いように思う。

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後悔

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