自分の行動を決めるもの

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先日の記事「未来を思い描くことの大切さ」

超久々にブログを書いてみる。 まあ、書きたいことは色々とあるんだけれども、なかなか筆が進まず(笑)、そうこうしているうちに自己完結している...

について、理想を見据え、そこに向かって進むことの必要性について書きましたが、もうちょっと補足しておこうと思います。

理想というのは、別の言葉で言えば「あるべき姿」です。
先日書いたように、どこに進んでいくかを意識しておかないと刹那主義に陥り、その時その場の状況に影響されて生きていくことになりかねないのですが、一方で、短いスパンで言えば、それが必要になる場合も当然あります。
いくら将来のことを語っていても、日々の生活が覚束なければ、理想も何も無いわけですからね。いわゆる「地に足がついていない」っていうやつです。

で、日々の自分の行動がどのように決められているかといえば、それは、各個人の性格や物事の考え方・価値観によって変わってきます。
これは、どれが正しくてどれが間違っているということではなく、単にタイプの違いということができます。逆に言えば、自分の価値観と人の価値観の違いをきちんと認識し、お互いに尊重しあわないと「相手がおかしい」「自分はだめなやつ」という間違った考えに陥りやすい。そこは、しっかりと心に留めておく必要があります。

例えば、何か行動を起こすときのモチベーションとしては、「目的追求型」と「問題回避型」に分けられます。
目的追求型は、未来にある報酬を求めて動きますが、問題回避型は差し迫った問題が見えてこないと動きづらいという特徴があります。
目的追求型は「しっかり勉強すると、希望の大学に行けるよ」ということがモチベーションになるでしょうし、問題回避型に対しては「しっかり勉強しないと落第するよ」ということがモチベーションになるでしょう。
繰り返しになりますが、これはタイプの違いでしかなく、どちらが良い・優れているということではないのです。
逆に言えば、自分のタイプを認識せず「こういう行動が絶対に正しいんだ」と思い込んでしまうと、ちょっと生きづらくなってしまうかもしれません(とは言っても、別にそれで不幸になるわけではなく、訓練することも、意識してバランスを取っていくことも当然可能です)。

私も仕事で使っているNLPでは、このような認識パターン、意識付けのパターンをメタプログラムと呼び、いろいろと整理されていますが、元々の考え方であった、ユングの性格類型について学んでみると、少しわかりやすいかもしれません。

詳しいことは、ネット上にもいろいろと解説されていますので、そちらを参照するか、専門書を読んでいただきたいのですが、簡単に言えば、

  • 人間は「外向的」タイプと「内向的」タイプに分けられる

ここでいう内向的/外交的というのは、心の向き方が自分の内側に向くか外側に向くかということで、内省的であり他人に対して関心が薄いというのが内向的。周囲や他人に対して意識が向き、社会や周りの人に対して何らかの影響を与えたいと考える傾向にある人が外交的であると言えます。
これは「そういう傾向がある」ということであり、表面的に暗く見えるとか人付き合いが良いということを表しているわけではありません。

  • 人の心には「思考」「感情」「感覚」「直感」の4つの働きがある

「思考」と「感情」は、ものごとを決めるときの機能であり、相反する機能です。
思考が優位な人は、物事を論理的にとらえ、理論や理屈に関心が向かいます
一方、感情優位な人は、気分が良い・悪い、好き・嫌い、快・不快で物事を決めます

「感覚」と「直感」は、ものごとを捉える時、何かを受け取るときの個々との働きです。

感覚優位な人は、「見たまま」「そのまま」に自分の五感で受け取ったものを事実として受け取ります。
一方で直感優位な人は、見聞きしたものの意味や本質を捉えようとし、全体像を受け取ろうとします。
直感優位な人は、ものごとの本質を捉えようとしますので、何か受け取ったときに、それを他に応用することが得意ですし、感覚優位な人は細かい違いをしっかりと受け取ることに優れています。

4分類

ユングの性格類型では、これら「内向的・外交的」の2タイプと心の4機能の優位性を組み合わせた8つの類型で考えます。

世の中には、これを発展させたMBTI(https://ja.wikipedia.org/wiki/MBTI)という分析手法やそれに類する性格分析(https://www.16personalities.com/ja)があります。
批判や問題点の指摘などもありますが、参考までにやってみるのも面白いかもしれません。(ただし、それに引き摺られすぎないように…)

さて、話を戻します。

理想を見据え、そこに向かっていくことは、先日の記事にも書いたとおり、絶対に必要なことではあるのですが、人それぞれ、その理想というのが違っているのは当然の話です。
以前、「理想を語り現実を歩む

理想ばかり語り、現実には目もくれない理想論者についての記事をネット上で読みました。 ある意味、正しい部分もあった記事ですが、言...

という記事で書いたとおり、その違いを生む原因は

「見ている範囲が違う」

ということです。

今日、明日のことしか考えられない人に10年先・50年先のことを言っても理解できないでしょうし、自分が付き合っている人のこと、自分の周りの人のことしか頭にない人に対して、国のあるべき姿、世界のあるべき姿を語っても全く理解できないでしょう。
ただ、これは先程書いたとおり、タイプや役割の違いでしかないので、どちらが良いということは、その人にしかわからないのです。足元に注意を払うことによって、日々の生活を楽しんでいくというのもまた人生の選択肢の一つです。

ちなみに、「理想は変わっていく」ということを言う人もたまにいますが、前の記事にも書いたとおり、本質を押さえた理想の場合、自分の立ち位置によってそれが変わっていくということは、あまりありません。
もちろん、自分の立場や環境が違ってくれば、それによって見えてくるものも変わってきますので、目標とすることが変わることはありますが(一つの目標に到達して、次の目標地点を選ぶような感じ)、視野が広く、高い視座を持っているほど、目標地点というのは自分の動きに影響されないものです。
(目標と目的という言葉は、敢えて変えて書いています)

「理想」という言葉を自分の中でどう捉えるかということに関わってくることではありますが、あまりころころ変わるような目標は、あまり考えられていないか、あるいは自分自身の視野が狭い(絶対的に狭いというより、自分自身の動ける可能性と比較して相対的に狭い。自分を過小評価し過ぎている)ということが言えるのではないかと思います。

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