何故、怪し気な話を信じるのか?

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世の中には、いとも簡単に怪し気な話に引っかかってしまう人がいる。
…というか、かなり多い(笑)。

ちょっと考えれば、論理的にありえないということにも、コロっと騙される。

実は、僕は「人の動かし方」という研修もたまにやったりします。
有料でやっている研修なので、あまりここに詳しいことは書きませんが、いろいろなテクニックについても説明しています。

「人の動かし方」なんて書くと、何だか自分の思い通りに相手を操って、悪いことをするような印象を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、管理職が部下に指示を出すときも、営業が顧客に対して商品の説明をするときも、コミュニケーションが成り立つというのは、相手の思考・行動に変化を起こしてこそ意味があるのであって、単に自分の主張を相手にぶつけるだけというのは、コミュニケーションとは言えないというのが、僕の持論です。
(そういう意味では、今の国会での野党と与党のやり取りは、全くコミュニケーションとは言えないですねw)
もちろん、この研修の内容は「悪用厳禁」ということを最初に念押ししています。

ちょっとだけ、テクニックについて紹介すると、例えば、相手をどうしても説得しなければならないことってあると思います。
説得の基本構造は何か?といえば、

相手が抵抗を示していることをさせる

ということです。

相手に窮屈な思いをさせておいて、ちょっとした逃げ道を用意してあげる。これが、相手を誘導する(動かす)一つのテクニックです。

これを聞くと

「ああ、あれか…」

と思いつく方もいるかもしれません(笑)。

あたかも自分で考え、決めさせたように見せかけておいて、実は思ったとおりに誘導する。これは相手の行動を強化するための一つの手段でもあります。
人は、誰かに言われてやったことは簡単に覆しますが、一貫性の心理というものがあって、自分で決めたりやったりしたことを覆すのには、また大きな抵抗が働くからです。
詐欺師は、意識している・していないに関わらず、このように人間の心理を巧みに操って、人を騙していきます。

さて、タイトルに書いた「何故、怪し気な話を信じるのか」ということについてです。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスによれば、人の説得には以下の3つの要素があります。

  • 信頼(エトス)
  • 情熱(パトス)
  • 論理(ロゴス)

信頼できる人から、情熱的に、論理的に説明されれば、人は相手の言うことを信じるということです。

だからこそ、人は信頼を得るために実績を積み重ねたりしますし、場合によっては「虎の威を借る狐」のように、権威との繋がりを利用したりします。
詐欺の常套手段としては、小さな成功体験を積み重ね、信用させておいて、その後に大きく騙すということをやります。

また、情熱的に相手の感情に訴えかけるというのも、説得力に関係します。
心から本気で訴えかけるというのもそうですし、ヒトラーがやったように親衛隊の動きや歓声で雰囲気に飲ませる、大げさなジェスチャーで感情を演出するというテクニックも関係するでしょう。
(これも、「ああ、あれか…(笑)」と思う人たちがいるかもしれませんw)

最後の論理は、相手の理性に訴えかける方法です。
どんなに信頼できる人から、情熱をもって訴えかけられても、理屈が支離滅裂であれば、普通の知性を持っている人であれば、説得には応じないはずです。

…ところが、認知バイアスが変に働くと、必ずしも論理的に正しくなくても脳内補完が働き、論理的な不整合が、必ずしも相手を説得できない理由にならないところが不思議なところ。

「これは論理では説明できない不思議な事だから…」
「相手も上手く説明できないのかもしれない」
「私が相手のレベルに達していないから理解できないのかも…」

などなど。論理が成り立っていない理由を無理矢理にでも探し始めてしまう。

そもそも、人間はリスクを避けるように動くようにできています。
逆に言えば、リスクを取り去ってやれば、人間はその方向に動くということです。

普通は、「知らない」ということがリスクですから、知性を磨き、知識を身につけ、物事をよく観察し、これから起こるであろうことを想定し、備え、リスクを取り去ろうとするわけですが、そこにはもちろんコストがかかるわけですから、そのコストを支払う気がない人たちは、リスクを甘んじて受け入れる覚悟が必要ですし、その覚悟も無い人たちは現実に目を瞑り、表面的にリスクを取り除いてくれる人や言葉に飛びつくことになります。

錯覚に気づかない

以前、「瞑想と願望実現」という記事の中でも紹介したことがありますが、G.Iグルジェフという神秘思想家が言っているように、

「刺激に反応するロボットに過ぎない人間が目覚めるためには、弛まぬ自己観察が必要だ」

というのは、ある意味、真実なのだと思います。

「占い・予言・自由意志」という記事で、「自由意志により、自分自身の人生を決める」ということについて少し書きました。 運命や運勢に翻弄さ...

真に自由意志を持ち、自由な人生を送るためには、

「あの人が言っているから」信じよう
「あの人が熱心に伝えているから」信じよう

ではなく、自分が何故信じたのか?本当に自分の意思で考えたのか?決めたのか?

を常に自分自身に問いかけ、考えてみることが必要なのだと思います。

霊感商法

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