心屋仁之助氏の言葉に一々反応しても疲れるだけだし、今、そんな暇も無いし、申し訳ないが(誰に?w)、先日の黒猫ドラネコさんと心屋氏のやり取りの後で彼が発した
「お前に関係あらへんやろが!!!!」
という言葉についてだけ、ちょっと思うところを書いておきたい。
今の世界の推定人口は約77億人。
殆どの人にとって、世界の殆どの人のやっていることは、彼の言う通り「関係ない」ことなのだ。
であれば、心屋氏のいうとおり「お前には関係ない」とやり過ごしてしまって良いものか?
少なくとも、自分の認識できる世界を共有している限り、単純に「関係ない」と切り捨ててしまえるものでもないだろう。
どこか知らない南の島の、ナントカ村のンゴナ・ウポポ君(仮名)という名前も生い立ちも何も知らない、今後、自分の関係者が触れ合う可能性も限りなく小さいという人なら、ひょっとすれば「関係ない」と言ってしまっても良いのかもしれない。
それでも、そうは言い切れないと思うが…。
仏教では
「袖振り合うも多生の縁」
という言葉がある。
六道を輪廻する幾多の人生の中で、人との出会いは単なる偶然ではなく、深い因縁の中で生まれるものだから、どんな出会いも蔑ろにしてはいけないという言葉。
「関係ない」
なんていう言葉は、そういうことを理解していないことから出てくる言葉のような気がしてならない。
宗教的な観点ではなく、自然科学的な観点からもちょっと考えてみよう。
バタフライ効果は、カオス理論で取り扱われる効果。
詳しくは本でも読んでもらった方が良いが、ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす可能性があるか?という譬えで、僅かな影響が将来的に大きな差を生み出すことについて述べている。
それを考えた時に、人の言動が周りに次々と影響を伝搬させ、大きな影響を与える可能性は十分あるわけで、上に書いたのと同じように
「関係ない」
なんていうことは軽々しく言えなくなる。
僕は、以前「魂の群体」ということを書いているが、それは、人というのはある意味、一つの生命体であるということを意味してる。
ちょっと想像してみてください。
健康な人間の体を考えた時、頭も右腕も左足も、心臓も肺も筋肉も、血液も骨も、どれもそれぞれ重要な役割を持っています。
右手の小指くんが
「俺、左目の方が良かったなぁ~」
と言っても意味がありませんし、代わりもできません。
同じように、心臓は大腸の代わりはできませんし、頭蓋骨が血液の代わりもできません。
また、健康でまともな人間なら、平気で体の一部を切り捨てたり傷つけたりすることはないでしょう。
ところが「癌細胞」は違います。
癌細胞は、「お前に関係あらへんやろが!!!!」と、正常なコントロールを受け付けなくなり、自分勝手に増殖し始めます。
Wikipediaによると、癌細胞は以下のような特徴を持っている。
- 無制限に栄養を使って増殖するため、生体は急速に消耗する
- 臓器の正常組織を置き換え、もしくは圧迫して機能不全に陥れる
- 異常な内分泌により正常な生体機能を妨げる
- 全身に転移することにより、多数の臓器を機能不全に陥れる
彼の自分勝手な行動により、自分は周りに迷惑をかけながら増殖して
「俺様すげー!」
と思っているかもしれないが、最終的には自分を含む体全体を蝕み、自身と周りを滅ぼす。
これが
「お前に関係あらへんやろが!!!!」
という言葉を発し、
「好きにしていい」
と言っている人間の末路。そうならないために、周りは好き勝手な増殖をし、周囲に迷惑をかける人間を排除しようとする。そうしなければ、体全体が蝕まれていくから…。
さて、ここから書くことは、今後はあまり書かないと思う。
エセスピの人たちが大好きな「波動」という言葉。
波動、波動って、宇宙戦艦ヤマトかよってくらいの勢いだが、実はその本質を理解している人ってほぼいなさそう。
自分の思考・行動がどう周囲に影響を与えていくか
隣の人、周りの人っていうように空間的な影響だけではなく、時間的な影響
将来の自分や、将来の世界というように、未来の時間に対して与える影響だけではなく、過去に対してどう影響を与えるのか
人間の感覚が時間に縛られる以上、それは感覚ではあり得ない
この世界を超え、世界を認識できる、純粋に思考の世界
それが理解できず、
「それは考えるものではなく、感じるものです」
などと、ちゃんちゃら笑えることを言うエセスピがいかに多いか。
もう、何十年も前から、そんな輩ばかり
自分では、直観で理解し、悟ったかのように感じているのだろうが、ほぼ錯覚。
まあ、頑張れ
先人の努力の上に更に真理を求めている世界中の高度な知性が、少しずつこの世界の真理に近づこうとも、エセスピたちはそれを理解することもできず、また知ろうともせず、錯覚の世界に生きていくのは、恐らくこれからも変わらない
それで幸せなら、それはそれで良いのだろう