桜田義孝五輪担当相が辞任しました。
以前から、失言などで批判の多かった方ですが、今回は被災地の議員のパーティーで、議員の名前を挙げ、「復興以上に大事」と言ったことが問題視されて、辞任に至りました。
以前、池江璃花子さんの病気に対して「がっかり」という表現をしたときにも思ったのですが、言葉に対する感度が低い人なんだろうなぁと思います。
(この表現については、賛否両論はありましたが…)
今回の発言についても、擁護する気は全く無いのですが、ニュースなんかで音声を聞くと、まあ、勢いで言っちゃったんだろうなぁ…と。
それが、被災地軽視とか、本音が出たとか言われているわけですが、多分、そんなことも考えていない気がします。議員を持ち上げるという気持ちで出た言葉なんだろうと思います。
(繰り返しますが、擁護する気は全くありませんよ)
このニュースで紹介されていたのですが、自民党の伊吹文明氏が、失言を避けるために留意すべき6つの「た」というものを伝えているそうです。
これは
- 立場をわきまえて発言する
- 正しいと思ったことを言うときは注意
- 多人数の場で話す時には注意
- 旅先で話すときは注意
- 他人の批判をするときは注意
- 例え話をするときは注意
というものだそうです
どれも重要なことだと思います。
「立場をわきまえて話す」というのは、自分の影響力や自分を支持してくれる人たちのことを考えて話すということだと思います。
「正しいと思ったことを言うとき」も重要ですね。
人は誰しも、自分の考えや言っていることは正しいと思いがちです。
しかし、それは一面的な見方でしかなく、立場を変えてみれば、全く違う味方ができる可能性もあるわけです。
自分は正しいと思っているからこそ、それが一般的にも正しいと思い込んでしまい、意見の異なる人たちのことを、ついつい忘れてしまい、独善的な発言になってしまいがちですが、一歩引いた視点から自分の発言を見つめ直すということも大切だと思います。
それに関連しますが、大勢の人たちに言葉を発する場合、自分とは異なる価値観を持つ人もいるわけです。そのような人たちに対しても言葉が届く可能性を認識しながら、誤解される可能性のある発言をするのは、やはり賢明とは言えないでしょう。
「旅先で話すとき」は、つい言葉も緩みがちですし、不要なサービス精神も出てしまうことも多いです。もちろん、サービス精神を持つことは悪いことではありませんが、ブラックジョークのようなものになってしまうと、それに不快感を持つ人も出てきます。
「他人の批判」は言うまでもありませんが、自分にそれが返ってくることも覚悟する必要はあるでしょう。特に批判のための批判になっていないか気をつけるべきで、批判ではなく対案や別の視点からの意見という形で述べるのが良いかもしれませんね。
最後の「例え話」ですが、これについては私も散々経験しましたが、その例えを正しく意図通りに汲み取ってくれないことがあるということについては理解しておく必要がありますし、共有できるベースが無いと例えが例えにならないことも多々あります。そもそも、例え話が理解できない人は増えているようです。
これら6つの「た」は、政治家に向けて語られたものですが、今のようにネットで情報が拡散しやすい時代、これらのことを、ぜひ偽スピやエセカウンセラーの教祖様たちにも学んで欲しいと思います。
とは言っても、これらについて気にし過ぎると、角が取れてしまい、人間的に小さい、面白くない、どこにでもいるキャラクターになってしまうかもしれませんが(笑)。
ゴツゴツした岩の尖っているところを削っていくと、怪我はしなくなりますが大きさは小さくなっちゃいますからね(笑)。
本当は悪いところを削っていくだけではなく良いところを伸ばしていければ良いのです。
でも、一般的に、良いところを伸ばすということより、悪いことをする方が容易に達成できるので、人は安易な方に流れていってしまうのだと思います。
テストで1位を取るのは大変ですが、ビリになるのは何の努力も要りません。
運動会で1位を取るのは大変ですが、ビリになるのは簡単です。
アドラーのいう「不幸自慢」のように、劣等感を伸ばすことによって特別な自分であろうというのは、最も安易なやり方ですし、そのようなことを教えやアドバイスとして伝えている人たちは信用できません。
「自分たちの言葉を受け取る側が誤解している」
という主張をするのであれば、ぜひ誤解の無いような伝え方を心掛けて欲しいな…と思います。