経験が絶対なのか?

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本当は、今日は心屋さん関連じゃないことを書こうと思っていたのですが…。
(というか仕事しようと思ってたw)
いろいろと考えるためのネタを提供して頂いてありがとうございます>心屋さん

今度は、このようなブログを書いたようです。

僕は
経験した人の話でなければ聞かないことにしている。

実は、この考え方は、彼に限ったことではなく、僕がやっているコンサルタントの世界でも結構、聞く考え方です。

「実際に経営をしたこともないようなコンサルタントが役に立つようなアドバイスなんかできるのか?」

結論から先に述べると、これは「できる」と言えます。
(というか、言わないと自己否定になっちゃいますからw)

確かに、経営者の抱える課題や悩みに思いを馳せること無く、頭でっかちな知識だけでコンサルティングしようとするコンサルタントが役に立つアドバイスをすることは難しいでしょう。
そういう意味で、実際に自分で経営を経験し、経営者が抱える問題や悩みを自分でも同じように体験し、それを乗り越えた方法を伝えた方が説得力は増す気はします。

しかし、本当にコンサルタントに必要なことは、困難を乗り越えたという自分の実体験を抽象化し、乗り越えるための方法の本質を伝えることだと思います。

自分の体験はあくまでも一つの体験例でしかありません。
物事の本質は、実世界に現れるときにいろいろな姿で現れます。
表層的な課題にのみ目が行ってしまい、その解決だけを目的としてしまうと本質を見失います。目に見える問題を次々と潰していくだけ。もぐら叩きをしているだけの状態に陥ってしまいます。
だからこそ我々コンサルタントは、様々な事例から、問題の本質を見つけ、クライアントに対して解決策を提示します。

世の中のあらゆることを体験することができるわけもなく、人は歴史から、そして周りの人から、いろいろなことを学んでいきます。

それは、先日紹介した過去のブログの通り。

先日、心屋仁之助さんのことについてちょっと書かせて頂きました。 彼自身、結構引き摺っているようで、年末に投下した爆弾に絡めて、また記事をU...

それを可能にしているのは、人の「想像力」です。
人は進化の過程で、その頭脳に世界を写し撮る力を手に入れました。
もちろん、各個人が持てるそのスキルレベルにより、詳細さ、奥深さ、正確さは変わってきますが、自分自身が物理的に体験できる以上の知識・体験を得ることができるようになったのです。
そして心屋仁之助さんには、その想像力が決定的に欠けている。
目の前の具体的な事象にしか目が行かないのでしょう。
それが先日の

やってみんとわからんやんか!!!!
やってもないやつがうだうだ言うな!

という言葉に繋がっているのでしょう。

心屋さん

僕はあなたのこれまでの書き込みを読んで、方向性が違ったり、認められない部分があるとはいえ、少なくとも「問題の本質」を捉えて、クライアントの悩みを解決しようとしているのではないかと思っていたのですけどね。

それが、娘を叩いてしまうことを悩んでいる親に対して、単に「叩いてはダメ」という言葉を述べるのではなく、「娘さんが叩かれるために生まれてきた」という言葉によって本質的な部分から解決しようとしたのではないですか?

それともなんですか?
あなたは

叩かれるために生まれてきた

あるいは

叩かれるために生まれてきた子供を授かった

という体験をしたのですか?

もし誤魔化しではなく、本気でそう思っているのだとしたら

あなた、頭おかしいです!
即、病院に行くことをおすすめします

取り敢えず、書きたいことは以上なのですが、今回のブログ記事に関しては、自分の意見とは異なるところがかなり多かったので、自分の考えの整理も含めて、ひとつひとつ書いていこうと思います。


僕はいろんなものを食べて(経験して)
そして消化して日々排泄する(気づきを発信)。 

はい。正しいと思います。僕もそうです。

それを汚いというのか臭いというのか、
それとも肥料として役に立てるのかは、
「それ(発信)」を見たひとが決めることだ。

はい。それも正しいと思います。
全ての人が自分の考えに賛同してくれると思うなんていうのは傲慢だと思いますし、評価は受け取り側に委ねて良いと思います。

好きで僕の発信したものを観察して、
形や色や香りや硬さやに対して
いちいち自分の理想を伝えるのか、

自分が何処かから仕入れた知識や価値観だけで
理想と違うと指導しようとするのか。

ここからがおかしい。

あなたが自分の家のリビングでうんこしようと、その部屋でカレーライス食べていようとお好きなようにって思います。
それは、自分で責任が取れる自分のパーソナルスペースですからね。
でも、それをブログという公の場で発信していながら、

好きで僕の発信したものを観察して

というのは全くの間違いで勘違い。

インターネットは公共の場です。誰もが訪れることができる公園で、勝手にうんこして

「俺のうんこはうんこじゃない!肥料なんだ!勝手にうんこっていうな!」

とか言ってもしかたないでしょ?それを「好きで観察して」っていうのは違うんじゃないでしょうか?

せめて自分の管理している畑でだけ使ってくださいよ。

twitterを巡っていると、色々と刺激を受けて、考えが整理されてくることがある。 というわけで、ちょっと思いついたので書いておこう。 ...

以前、「寛容と自制とパーソナルスペース」という記事を書いたことがあるのですが、その中では自分の知覚している領域に絶対的な権利を持ち、相手がその権利を尊重するのが当然だとでもいうような行動について書かせて頂いています。

幼稚園児の子供の声に腹を立てて脅迫状を送った老害が逮捕されました。 うるさいと怒り園児宅に“脅迫状”か 逮捕 事件の概要は、...

心屋さん

あなたの書いているブログを発表している場所は、あなたが絶対的な権限を持っているパーソナルスペースではない。

もし、自分の書き込みに対して絶対的な権力を持ちたいのであれば、ブログを公開するのではなく会員制にでもして、あなたが認めた人にだけ自分の意見を述べていれば良い

そうすれば、少なくとも今よりはアンチ心屋の声は少なく(聞こえなく)なりますよ

自分が何処かから仕入れた知識や価値観だけで
理想と違うと指導しようとするのか

そういう人もいるかもしれないが、そうではなく実際に自分が虐待を受けた体験を持つ人の声もあるでしょう。
そういう人たちに対しては、どういう言葉を投げかけるのか?

自分に都合の良い人しか見えていないんでしょうか?

自分を批判している人は、自分の考えているような「何処かから仕入れた知識や価値観だけ」で語っている人しかいないとでも思っているのでしょうか?

セカンドレイプっていう言葉知ってますか?
あなたが撒き散らしている毒で傷つけられている人がいる可能性については微塵も考えないのでしょうか?

批判や指導をしたくなったら
自分がどんなに勝手な理想を抱いているのかを知ればいい。

批判や指導をしたくなったら
自分がどんなに勝手な理想を抱いているのかを知ればいい。

きっとそのことで知らないうちに
理想と違う自分や、本当はそうではない自分を責めているから。
 
だから、批判や指導をしたくなるのだ、と。

お前は何を言っているんだ?

おまえは何を言っているんだ

よくKAIWAING(← 萬代彩月さんの造語)

嫉妬している

だの何だの言いますが、それと全く同じ思考パターンですね(まあ、そりゃそうか)。

理想と違う(理想通りになれない)自分とは違う → 理想を体現している相手への羨望

が批判や指導に繋がっているとでも?

ハエやゴキブリやストーカーを理想としたり嫉妬したり羨ましがったりする人って、あまりいないと思いますよ

単に

迷惑

気持ち悪い

から批判してるんです。勘違いも甚だしい。

僕は
経験した人の話でなければ聞かないことにしている。

そうですか。ご自由に。

でも、知ってます?

  • 入浴後の白湯やビタミンCを摂取させるための果汁が必要とされていたんですって
     → 今は6ヶ月以内に余分な水分や果汁などを与えると、腎臓に負担を掛けてしまうって言われているらしいですよ
  • 離乳食は親が口の中で砕いてやわらかくしたものを食べさせていても普通だったんですって
     → 大人が咀嚼したものを乳児に与えると虫歯の原因となるのは常識
  • 昔は、運動中に水を飲むと疲れやすいから、水分は取らない方が良いって言われてたんですってよ
     → 水分補給は常識

まあ、いろいろありますが、所謂「老害」が、「ワシの若い頃は」とか、自分の経験「だけ」を元に、クソ迷惑な助言をすることがあるのは「当然」ご存知ですよね?
それでも経験した人の話でなければ聞かないというのであれば、ご自由にどうぞ。

あ、そうそう。こういう言葉知ってます?

Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

自分の経験から学ぶことを信じるのはバカだけです。
私は他人の経験から学び、最初から自分自身の間違いを避けることを好みます。

一般的には

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

と訳されていますね。

心屋さんが経験を持つ他者からの意見を聞くというのは賢明な態度だとは思いますが、たった一人の経験則からだけしか学べないのであればもったいないし、上に書いたように間違った常識なのかもしれない。
そして、結局は自身で体験したことにしか価値を見いださないのであれば、間違っているかもしれない知識をいくら得ても無意味ですよね。

#でも相談されたら経験してないことでも答えるよ

何、保険かけてんねん(笑)

あとね、最後にダライ・ラマの語ったことに関する記事を引用して嬉しくなったって言ってるけど、ホントに意味わかってんのかいな?

お釈迦様が最後に言った言葉

自灯明・法灯明

これは

「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい」

ということ。

お釈迦様が入滅されるときに、弟子が「これから何に頼れば良いのか」と訊ねたことに対してに言った言葉です。

お釈迦様は「自分や他者に頼ってはいけない。自分自身と法(世の理)に則って生きなさい」と言っています。

これは、自灯明が先に来ているのが本当に大切なところ

お経など、外部の決まりごとの奴隷になるのではなく、自分自身の仏性に従って善を為しなさいと言っているのです。

少なくとも、心屋さんが言っているように

依存歓迎

などということとは真逆のことを言っている気がします。

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