責任と覚悟の話

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安倍晋三元首相が凶弾に倒れて1週間以上が経ちました。
日本中のみならず、世界中に衝撃があった事件だったと思います。

事件の真相に関しては、今後の捜査の行方を待つしか無いわけですが、安倍氏の政治活動に対する反感からの事件かと思いきや、現時点では、安倍氏と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係が、犯人が凶行に至る原因であったというような報道がなされています。

その他の原因に関しても様々な憶測が(陰謀論を含めて)流れているようですが、何が真実かについて、僕の方では調べるつもりもないので今後の情報を待ちたいと思います。

そのような状況の中で、Twitterに少し気になる書き込みが流れてきたので、記録として自分の考えを残しておこうと思います。

実は、池田信夫氏のこの書き込みに続くこちらのツイートに、ちょっとだけ違和感を感じました。

紹介されている鈴木エイト氏は、安倍晋三氏と旧統一教会との関係について以前から調べているようで、

もし山上容疑者が「ネット記事を読んで安倍元首相と統一教会とのつながりを知り、ビデオメッセージで確信した」などと供述した場合、現在教団に向けられている非難は何割かは私に向かうだろう。

という書き込みからも、ご自分に非難が向けられる可能性についても覚悟をされているのだろうと思います。

もちろん、自分の仕事に対して、自分の身に降りかかるかもしれないことを覚悟しておくというのは大切なことですし、そこに対して自覚が無いままに仕事をするというのはプロフェッショナルとしてはあってはならないことでしょう。

一方で、以前書いたこのブログでも述べていますが、自分の仕事に対する責任は、その影響範囲まで考えておくことが絶対に必要です。

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このような宗教団体絡みのことで思い出すのは、やはりオウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件のことです。

もはやこの事件について詳しく知らない人も多くなってきていると思いますので、詳細についてはWikipediaなどを見てもらうと良いと思いますが、坂本弁護士にオウム真理教信者の家族を紹介したジャーナリスト江川紹子さんと、坂本弁護士のお母様の関係が非常に気になるものでした。

ネットを探すと、Yahoo!の知恵袋に二人の確執について書かれているものがありましたので、お母様の言葉をちょっと引用させていただきます。

「息子一家は帰ってきません。でも江川さんはこの事件で賞をもらわれた。私はどうしても納得できません」

もちろん、事件を起こした教団が悪いというのは疑いの余地が無いわけですが、教団と対立した坂本弁護士が自分に降りかかる危険に対して覚悟があったとしても、全く何の責任もない奥さんや息子まで殺される覚悟があったかどうかまでは、今となってはわかりません。

だからといって、問題を起こしている組織に対して見て見ぬふりをしておけば良いのかといえば、そんなこともないでしょう。

見て見ぬふりをすることによって、辛い思いをする人がたくさん出てくるかもしれないのです。

それが自分に降り掛かってくることであれば、自ら立ち向かうということで話は簡単でしょうし、身近な人に対するトラブルへの対応ということであっても比較的単純な話になります。

これが、直接関係無い人の問題を解決するためということになると、判断はだんだん難しくなります。
弁護士や警察の場合、それは自らの社会的責任において対応する必要が出てくる場合もあるでしょう。

つまり、最終的な判断は自分の社会的存在意義ということになってくるのだろうと思います。

この社会が自分の理想的な状態であるために、自分自身はどういう行動ができるのか?
その行動によって起こる、良い変化は何か?悪い影響は何か?を考えることがとても大切なのだと思います。

宗教問題に関わらず、自分のやっていることを正義と思っている人間同士の対立は本人だけではなく、周囲の人たちを巻き込む可能性が非常に高くなります。

だからこそ、他者の行動に対して影響を及ぼそうとするときには、安易に「責任は取る」「覚悟はある」などと言葉だけ勇ましくするのではなく、具体的にどうするのか、どのようなことが起こり得るのかということをしっかりと考え、実行に移すことが必要です。

自分以外の人間は、自分の世界の中では単なる脇役でしょうが、その人達が主役の世界もあり、我々は同じ世界を共有しています。
自分が思い通りに世界を動かそうとしているのと同様、彼らも自分たちの世界を思い通りにしようとしています。

自分の意志をゴリ押しすることによって変えていくのか、協力と協調によって世界を変えていくことができるのか。

どちらになるかは、自分自身がどのくらいの力と意志を持てるのかと、周りの人たちに受け入れてもらえるのかにかかっているのだろうという気がします。

テロリスト

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