世の中では旧統一協会(←最近は統一教会と記述されることも多いようですが、元々が世界統一心霊協会だったので、こう記述させてもらいます)の話題でいろいろと騒がしいですが、正直なところ、ちょっとやりすぎかなぁという気がしてます。
被害や迷惑を被っている人がいるのは理解していますし、霊感商法的な集金についても問題でしょう。
以前から僕はいろいろなところで書いていますが、ルールの方が追いついていないならルールを変えていくべきで、法律に違反しなければ何をやっても良いと考えているわけでも無いです。
(これについてはどう捉えるかによって、イノベーションとの兼ね合いもありますが、それについてはまた機会を見つけて書いてみたいと思います)
要するに、倫理観と社会的な合意事項を最低限のレベルで形式知としたものが法律を始めとしたルールであって、人や社会が成熟化するに従って、本来、ルールは少ない方が良いというのが僕の考え方です。
僕は、なるべく周りに束縛されることが少なく自由でありたいと思っていますし、それは人類の歴史そのものだと思っています。
そのことについては、以前もブログに書いたとおりです。
上の記事の中では、
「あんまり誰かを崇拝するということは、自分の自由を失うことなんだ」
というスナフキンの言葉を引用していますが、精神的自由の大切さと、それを得ることが意外と大変であるということについて書いてあります。
世の中には、多くの宗教や自己啓発セミナーのようなものがあります。
そして、それらにハマっていく人は後を絶ちません。
なぜそういう人が多くいるのかといえば、単純に、そのような考え方、団体を必要としている人たちがいるからです。
そのような教えによって救われる人、癒される人、人生の生きる意味を見出す人、いろいろな人がいます。
このブログでも一貫して書いていますが、人はどんな考え方でも好きなように信じれば良いし、好きなことをすれば良いと思います。
ただし、それは自分で責任が取れる範囲で、人に迷惑をかけない範囲においてです。
それであれば、別に変な格好で歌おうが踊ろうが、無駄遣いしようがお好きにどうぞという感じです。
僕が良し悪しを語るのは、この一点のみです。
地球が平面と信じていても、地球が空洞だと信じていても良いです。
それを学校で子供に教えるのは迷惑です。
そして今、マスコミでも騒いでいる宗教2世問題で最大の問題は、自由が奪われていることであって、それについても以前、ブログに書いています。
詐欺師の言っていることの9割以上は正しいことであって、残りのほんの少しの部分でカモを騙しにかかります。
逆に言えば、正しいことだけを拾い上げ、自分に活かす・利用することもできるわけで、そのために最低限必要なのは「自分の頭で考える」ということです。
最悪なのは
「あの人が言っているから」
「ここの教えではこうなっているから」
と思考停止してしまうことだと思います。
同じように
「あいつが言っていることは全て間違っている」
「あそこの教えは全て悪」
と、短絡的に考えるのも同様に思考停止していると言えるでしょう。
カルトと呼ばれる新興宗教だけではなく、人類の歴史の中で、世の中の多くの宗教団体が様々なトラブルを起こしています。もちろん、団体だけではなく、その信者も同様です。
同じように宗教団体ではなく政治団体や民間の営利企業まで、そのようなことはあらゆるところに見られます。
そしてそのたびに、その組織に属する人たちや教えを信じる人たちをステレオタイプ的な目で見てしまう残念な人達が多くいます。
新約聖書のヨハネによる福音書の中で、イエスは
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
と言っています。
少なくともこの言葉によって、民衆は立ち去りました。
自らの行いを顧みたということです。
ダブルスタンダードの人たちのみっともなさについても、僕はいろいろなところで言っていますけど、今はそのようなダブスタを恥とも思わないような人が増えているように思います。
新約聖書の時代から2000年ほど経って、人間はそのときよりも成熟しているのでしょうかね?