許す権利

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さっきの記事をUPしたあと、心屋氏が記事をUPしていることに気づいたので連投。

心屋氏の記事はこれ

正しくない(と思われる)人を集団でリンチするようなことは、僕も好ましくないと思います。
自分の倫理観を押し付けるような、自称正義の見方は本当にめんどくさい。

僕が訴えたいのは、ただ1つ。

  • 人に迷惑をかけるな
  • 自分の言動には責任を持て

ということです(あ、2つだw)。


何かの加害者もまた傷つけられている
だから「ダメ」を「イイ」に変える。そんなやさしい世界を作りたかった。

それは、一見、理想的な世界。
でも、何か迷惑をかけられた時に、その「ダメ」を「イイ」に変える権利を持つのは、その被害者だけです。決して、加害者側ではない。

もちろん、第3者でもない。そういう意味で、個々の事件・問題に対して、関係の無い人間が周りからワイワイ言ったとしても、それは雑音でしかない。
テレビでよく見る芸能人や政治家(もちろん、今回の心屋氏も)の個人的スキャンダルなんか、謝罪会見があっても「誰に謝ってるの?」という感じがするのは自分も一緒。
他に迷惑をかけていないなら、当事者同士で解決しておけば良い。

しかし「人に迷惑をかけていい」だの「叩かれるために生まれてきた娘」だのということを社会的に影響力のある人が、公の場で発信しているのなら話は別。それは、周囲から非難・批判されても仕方がない。
(だから僕は、以前から「やるならクローズドな場でやってくれ」ということを主張しています)

これはどういうことかと言うと、個々の問題に対しては当事者で解決すれば良いのですが、例えば「迷惑をかけていい」などという考え方が社会的なムーブメントになってしまうと人間社会が崩壊してしまうからです。

「迷惑をかけていい」という考え方がどのような地獄絵図をもたらすか、以前書いたブログがこちらです↓

己の欲せざる所は人に施すことなかれ 論語の言葉です。 子貢問曰。有一言而可以終身行之者乎。 子曰。其恕乎。己所不欲。勿施於人。 ...

人を信じ、善人ばかりで世の中が成り立っているという前提でものを語っても良いですが、心屋さん自身が言っているように

ひとは
そんなに強くないよ。

だからルールが作られ、そのルールを守ることによって社会は成り立っているのです。

自分の書いていることをもう一度、読み直してみた方が良いです。

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炎上

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