「ツァラトゥストラはかく語りき」を書いたニーチェの「善悪の彼岸」という本の中の一節。
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 —Wikipediaより転載
最近、偽スピやエセカウンセラー批判記事なんかを見るようになりました。
私自身は全否定・全批判というより「人に迷惑かけなきゃ自己責任の範囲で」という方針なので、人様からはどう見えているかは知りませんが(笑)、結構、適当です。
(気になるところや、問題点なんかは指摘します)
ただ、話がマトモにできないお馬鹿さんは好きじゃないです。
で、スピ信者とかと話をすると「直感で!」みたいな話が出るので(´・ω・`)みたいな顔になっちゃうのですが、最近、この「直感で!」という言葉をアンチ偽スピみたいな人たちの書き込みの中でも見るようになってきた気がします。
当然、私はそういう発言を見ると(´・ω・`)という顔になっちゃうのですが、やってること全く同じじゃん…と感じてしまうわけです。
むしろ
「自分は偽スピよりも上!正しい直感力を持ってるから!」
みたいに感じちゃいます。
直感力は大事だと思います。
(余談ですが、昔、数学なんて直感の世界だという議論をある人としたことがあります)
でも、もっと大事なのは、その直感・直観を論理的に検証し、説明できること。
それができなければ、本当の意味で人に伝えることもできないと思います。
さて、タイトルにも書いた一節。
偽スピをひたすら批判・否定しようと、相手のことを調べつくしていくうちに、いつの間にか偽スピに捕らえられ、取り込まれてしまう可能性もあるんじゃないかと思います。
まさに
その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ
という言葉通り、自分自身を常に見つめ続け、地に足をつけていく必要があるという気がしています。
木乃伊取りが木乃伊になる
ということは昔から言われます。
かなり昔のドラマですが、
『沙粧妙子 – 最後の事件 -』~SASHOW THE LAST CASE~
という浅野温子主演のドラマがありました。
ネタバレになっちゃうので、詳しくは書きませんが、犯罪捜査をする心理捜査官の話で、プロファイリングという言葉を一般的にしたドラマかもしれません。
このドラマもいろんなところで「木乃伊取りが木乃伊になる」みたいな場面が出てきます。
自己の正義を全面に押し出しておきながら、いつの間にか深遠に覗き返され、取り込まれてしまうことのないようにしたいものです。
コメント
こんにちは。
最近こちらのブログを知り、更新を楽しみにしております。
そして、私も最近心屋さん(あえて敬称を付けて呼びますね)の一連の言動を知り、他の方はどんなふうに思われているのだろうというところから、いろいろなサイトをめぐるようになりました。
めぐってみて感じたことがまさにこの記事の題名でした。
こういったことに向き合われている方々は本当に芯のある方なのだなと思います。
私は私の本分に戻り、できることを丁寧に真摯にやっていこうと思ったのでした。
それでも、こちらのブログの更新は楽しみにしております。
寒い日が続きますが、どうぞ心身ともにご自愛くださいませ。
さとみさん、初めまして。
コメントの承認が遅くなってしまってすみません(´・ω・`)。
心屋氏の言っていることだけではなく、所謂スピ系や意識高い系などでも同じなのですが、
「自分は、他の人よりも『何かを』知っている」
という優越コンプレックスって怖いなぁと思っています。
自分は、自己肯定感・自己評価が低いのに、その一方で承認欲求が強い人達が、ちょっと問題のあるスピ系やカウンセラー系にハマりやすいのかなという印象を持っています。
一方、こういったことに対して警鐘を鳴らしている人たちそのものが、逆に「自分たちのほうが上!」みたいな意識を持ち始めちゃうと、それも怖いなって思います。
常に自己を見つめながら、謙虚さは忘れないようにしたいですね。