コミュニケーションのあり方

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心屋仁之助信者との対話シリーズ(笑)

現在、心屋信者の方と意見交換しているというのは、先日の記事にも書いたとおりです。
まだ対話は続いていますが、twitterのやり取りだけでは、自分の言いたいことが伝わりづらい部分もあると思いますので、メモ的にこちらのブログにも書いておこうと思います。

心屋氏の発言を批判している人たちの意見として多いものは、

「人に迷惑をかけても良い」「猫を殺しても良い」

など、一見、反社会的に見える心屋氏の発言についてです。

今回の心屋信者の方とのやり取りの中で、感じているのが、この発言に関する捉え方です。

全心屋信者ということではなく、あくまでも今、対話を続けている方の考えではありますが、

  1. 心屋氏はブログで個別の相談者に回答する姿を、不特定多数に見せているのであって、回答そのままのことをやれと不特定多数に言っているわけではない事を、理解できない人がそんなに多いか疑問
  2. もし「回答そのままのことをやれと不特定多数に言っている」と理解する人がいたとしても、受け取り方を間違える人がいるから発言者が悪いのだとは考えない

という考えのようです。

事実はともかくとして、これらは、この心屋信者の方の考えですので、それはそれで「どうして心屋氏を信じているのか」という理由として尊重はすべきでしょう。

ここで、タイトルにもある「コミュニケーションのあり方」について考えてみたいと思います。

1.に書いてあるように、批判者には心屋氏の意図が正しく伝わっていなく、更に2.に書いてあるように、それは情報の発信者たる心屋氏には責任はないと言っても良いものでしょうか?

私はそうは思っていません。

コミュニケーションというのは、言うまでもなく

情報の発信側と情報の受信側の相互作用

です。

そこにコミュニケーションミスが生じるのであれば、発信側・受信側双方にコミュニケーションを成り立たせるための努力が必要になります。

発信側と受信側の、コミュニケーション・スキルにどういう組み合わせがあるか分類すると

発信側 受信側
A
B
C
D

となります。
発信側・受信側ともにコミュニケーション・スキルが高い(パターンA)は、発信側の意図を正しく受信側が汲み取ってくれるということでベストの組み合わせです。
一方、(パターンD)の場合、そもそもまともなコミュニケーションが成り立たなくなります。
問題は、発信側と受信側のどちらか一方だけが高スキルの場合です。

(パターンB)はいわゆる「行間を読む」、「裏を読む」という場合です。
相手が言いたいこと、言わんとしていることを汲み取ってあげるというスキルは、人と接することが多い仕事や、医者やカウンセラーなどには特に必要とされるスキルです。
直接、対面で相手と対峙している場合は、言葉の内容だけではなく、身振り手振り、視線の動き、声の調子、表情など、様々なノンバーバル(非言語的)情報からも相手の言いたいことを受け取ることになります。
(心理学ではキャリブレーションと呼ばれる技術です)

ただし(パターンB)の場合、適切に発信者の意図を汲み取れれば良いですが、実はそうではなく(パターンD)になっている可能性もあります。
つまり、「曖昧な情報だけを出し、受信側は自分の読みたいことを勝手に読み取っている」場合で、これは占い師などがよく使う手口です。

(パターンC)は「意図が伝わらない」という場合です。

今回、私が問題としている「受け取り方を間違える人がいるから発言者が悪いのだとは考えない」というのは、まさにこのパターンです。

ですが、特に、1対1のコミュニケーションではなく、不特定多数に情報発信する場合は(パターンC)となってしまう可能性を充分に考えなければならないと思います。
それは、情報の発信側がキャリブレーションのスキルを使って、受信側が正しく受け取っているかどうかをチェックしながら発信の仕方を変えたりしながら意図を汲んでもらうということがやりにくいからです。

言うまでもなく発信側も受信側も、相手側はコントロールできません
コミュニケーションを成り立たせ(パターンA)の状態にしたいと双方が望むのであれば

  • 発信側はどうすれば相手に伝わるかの工夫
  • 受信側は相手の意図が何なのか汲み取る努力

が必要なのだと思います。

それを一方的に
発信側は適切に情報発信しているから、発信側に責任はない
と言い切ってしまうのには、やはり少し問題があると思わざるを得ないというのが私の考えです。

最終的に主義・主張、価値観の違いはあるにしろ、お互いに考えていることを知ろうとするというのが社会生活の中では必須だと思います。
最終的に価値観の違いによって歩み寄れないことは「批判と理解について」という記事にも書いたとおりです。

お互いの考えを知ろうとせず、自分の主義主張に賛同する人たちだけに伝われば良いという態度は、まさに、先日書いた「ハイコンテクストな集団」という記事で書いたように

わからないのは、理解できないあなたが悪い!

という態度にしか思えません。

全くお互いに接点を持たない集団同士なのであればそれでも構いませんが、人が世の中に生まれ、何を学んでいかなければならないかということの一つに、このような「他者の理解」ということも含まれているのではないかという気もしています。
(これは、ちょっとスピっぽい発言かもしれませんが(笑))

一応、参考程度ですが
「魂の数」
https://www.qdech-labo.space/philosophy/2017/10/31/post-30/

「魂の進化とその目的」
https://www.qdech-labo.space/philosophy/2017/11/23/post-108/

なども読んでもらえると、ちょっとわかるかもしれません。
(これも、字面通りに捉えられると、ちょっとビミョーな感じになるんですけどw)

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