珍しく(笑)ブログにコメントがあり、その内容にちょっと思うところがあったので書いてみる。
コメント内容の一部を引用させてもらうと
元記事はわかりませんが先日、スイスの方が「日本人は言わなくても相手にわかるという前提で端折って話す人が多くて困る」というような記事を読みました。
カルト系の人達はそういうところを利用して仲間にして洗脳してるのかなと思いました。
これは、先日書いた「カルトの一般化・歪曲・省略について」という記事に対するコメント。
コメントの内容の原点は、恐らくエドワード・T・ホールっていう人の「文化を超えて」っていう本だと思います。
ここで言っている「言わなくても相手にわかる前提」というのは、ハイコンテクスト文化/ローコンテクスト文化という考え方で分類されています。
(リンク:高・低文脈文化 … Wikipedia)
「コンテクスト」とはコミュニケーションの基盤となる「言語や共通知識、体験、価値観、ロジック、嗜好性」などのことで、ハイコンテクスト文化というのは、上に書いたコンテクストの共有性が高い文化のことです。
日本はハイコンテクストの文化と言われていて、言わなくても通じ合う(ことが求められる)文化、行間を読む、空気を読む文化であると言われることが多いと思います。
先に書いた「カルトの一般化・歪曲・省略について」という記事中にある、一般化や省略などがあっても、比較的、お互いのことがわかってしまう(そのつもりになる)社会です。
これは閉じた環境ではメリットでもありますが、一方でデメリットももちろんあって、雰囲気や空気を読むことが苦手な発達障害の人が問題になったりすることもあります。
さて、先日書いた某心○さん界隈。
彼らの仲間内では、「パッカーン」だの「前者・後者」だの「ふーん族」だの、仲間内でしか通じない言葉がいろいろあるようです。つまりこれは、仲間内では同じコンテクストを共有しているということ。結構な感じで、ハイコンテクストの集団ということができます。
こういう仲間内でしか通じない言葉を使うことには、いくつかの効果があって、
- 仲間意識/帰属意識を高める
- 同様に、その集団に属していない人は意味がわからないため、何故か「変な」優越感を持ちやすい
→ 「あなたはわからないのね?私は理解しているから、私の方が上!」みたいな - 一般的に定義されている言葉ではないので、嵌った人それぞれで都合の良い解釈がしやすい
もし、彼らと話すのなら、先日の記事でも書いたとおり、より具体的な表現をしてもらった方が良いのではないでしょうか。
一般的に、ハイコンテクスト文化では、話し手の説明よりも、受け手の理解能力、共感能力が求められるため、論理の飛躍が発生すると言われます。つまり、
「わからないのは、理解できないあなたが悪い!」
になりやすいということです。
所謂スピ集団やエセカウンセラーに傾倒している集団の人たちと話をしても「わけがわからない」というのは、こういうことも影響しているかもしれません。
実際には、ローコンテクスト文化の社会でもカルトはいますから、必ずしもハイコンテクスト・ローコンテクストというだけで一概に説明はできませんが、少し考えてみると面白いかもしれません。