奇跡を売り物にする人たち

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スピ批判をするために、このブログを始めたわけでは無いのだが、精神性の進歩・進化というものを考えたときにどうしても向き合わなければならないことかもしれないので、ちょっと書いておくか。
まあ、好き勝手書くための、徒然日記だから、これで良いのだ(笑)。

世の中には「奇跡」を売り物にする人たちが結構いる。

「死の淵から奇跡的に生還」
「不幸のどん底から奇跡的に復活」
「奇跡のりんご」
…etc.

こんなに世の中に溢れていたら、奇跡でも何でもない、普通のことじゃん(笑)。
(奇跡:常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。)
むしろ

「これは奇跡でも何でもありません。私達についてくれば、あなたの身にも起こることなのです…」

とか、適当なこと言って、信者を増やす手段なのかもしれないが(笑)。

まあ、盲目だった人が神との出会いによって目が見えるようになったとか、歩けなかった人が信仰心によって歩けるようになったとか、「クララが立った!」かよ(笑)。

その後、神のお告げにより世界中に神の言葉を伝えています。
とか、言ってても、ホントは自分の言葉なんだろうけどね(笑)。

自分も奇跡は絶対起こり得ないとか言うつもりはない(起こらないから奇跡というのは上に書いたとおりだが)。
だが、世の中に溢れている「奇跡を売り物にしている人たち」の99%はインチキだと思っている。まあ、ほぼ金儲けにつながってると見て良いと思う。

だいたい、世の中には目が見えなくて辛い思いをしている人とか、足が不自由で大変な人とかたくさんいるんだから、奇跡的に目が見えるようになった、歩けるようになったという人は、その事実を調べてもらって、世の中にもっともっとその奇跡を広げていくべきだ。
「神の声」
という曖昧なことではなく。

そういう奇跡を体験したという人たちのことを、本当に客観的に調べてみなよ。
「信じる信じないはあなた次第」
とか言わないでさ(笑)。

もっとも、次々と科学者を騙していた霊媒師の嘘を見抜いたのは奇術師ハリー・フーディーニだったという話もあるくらいですから、頭がお花畑になっている人たちには調べられないかもしれません。

まあ最後には、先程書いたように「信じる信じないはあなた次第」とか、「あなたは出会うべき人じゃない(私達は選ばれた人)」みたいな、選民思想とかマウンティング意識が出てくるんでしょうね(笑)
(参照:ピュアピュア教信者の恐怖

なぜ人は奇跡を求め、それに呼応するように「奇跡を売り物にする人」が現れるのか。

一言でいえば、それは現実の世界に絶望しているから。

例えば、自分の身の上に起きた不幸な出来事、病気や事故による不幸、愛する人の死や病気。
さまざまな問題があると思う。

そして、そのような現実に対峙したとき、自分の力では何ともし難いと感じたときに、人は奇跡を求めるのだ。
(場合によっては、単なる怠惰でしかなく、自分の努力不足を奇跡的な他力によって解決したいという人もいると思う)
はっきりいえば、精神的に壊れかけている人たち。

そのような奇跡を求め、信じる集団には、カリスマが現れたりする。
(むしろ、カリスマというよりアイドル(偶像)と言ったほうが良いのかもしれない)

ドラッカーは、以下のように言っている。

カリスマ性というものに対しては、不快感を抱くべきです

彼は、カリスマを生む社会は精神的奴隷社会だとも言っています。

僕は、このブログでも何度も書いていますが、この世界に生まれ落ち、学ぶべきことは個人個人が自立していくということだと思っています。

奇跡に限らず、何かに依存させようとする人、集団は、それだけで、その人の成長の機会を奪い、精神的退化をもたらすものだと思います。

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