心屋くんは
「答えを見つければ問題は消え去る」
と、問題が起こる原因を「大事なことを理解していない」ということにしたいようだが、取り敢えず、ここではそういうスピっぽいことは否定しないことにしておこう。
まあ、便利な言葉だ。
難病に犯されていようと
謂れのない借金を背負うことになろうとも
「大事なことを理解していないから問題が起こる」
と言っておけば良い。その「大事なこと」が何か伝えてあげられないなら、これ程、無責任で残酷な言葉も無いと思うが、心屋くんには言われた相手の気持ちを想像することなどはできないのだろう。
そして、彼の今回の記事を要約すると
「ホントにやりたいこと」を罪悪感なくやり始めれば、問題は無くなる
ということらしい。
アホらしい。
彼の中では、やりたいことというのは何なのか?
人は本当に自分の人生のことを突き詰めて考えた時、自分の使命を考え始める。
この世界で、自分が「やらなければならないこと」だ。
自分がやらなければならないと思っていることを、心からやりたいと思っていれば幸せだ。
そして、本当にやらなければならないという使命感を持っていれば、身に降りかかる苦難に対しても正面から立ち向かうだろう。だが、当然、やらなければならないことをやっていれば問題が起こらないなどということはあり得ない。
心屋くんが、この記事で言っていた、イエス・キリストはどうだったのだろう?
自分の教えを伝えていくことが「ホントにやりたいこと」ではなかったのだろうか?
ホントにやりたいことではなかったから、十字架に磔にされた?
それとも教えを伝えることに罪悪感を持っていたから?
彼がホントにやりたかったことは何だろう?
ユダヤ教のラビに迎合して「自分の教えは嘘で間違いでした」と言えば、磔にはされなかったかもしれない。
それとも磔になったことは、彼にとって問題ではなかった?
僕は以前「好きなことと楽なこと」という記事で、「好きなこと」と「楽すること」は違うということを書いているので、ぜひ読んで頂きたい。
「ホントにやりたいこと」をやるのは良いと思います。
ただ、本当にやりたいことを罪悪感無しにやったからといって、楽なことにはつながらないし、やり遂げるまでに問題はたくさん起こると思います。
心屋くんが意図している「問題」というのが、どのレベルの問題のことを言っているのか、また、どういった種類の問題のことを言っているのか、説明が雑すぎて不明だが、目の前の問題を何とかしたいと藻掻いている人にとって、今回の心屋くんの記事は、恐らく毒にしかならない。
多分、やりたいことを好き勝手にやれば問題が消え去ると思う人が多数出ることは想像に難くない。
ホントにやりたいことを罪悪感なしにやるのは、「楽しい」かもしれないが「楽」ではない。