知識のシェアと幸福感

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物質的な資産に対して、知識などの情報資産は複製が容易で、人に分け与えたとしても元の情報が減るわけではないというところが大きな違いです。

今は、知的財産という言葉で、これらの情報の価値が語られ、それを所有する権利についても認められているのが世界的な流れですが、今後も、それが続いていくのか、またそういう状況が理想的な状況なのかということについて考えてみましょう。
(当たり前…と思わないことが大切です)

まず、代表的な知財権である特許権ですが、これは発明に対して独占的に使用する権利です。
このような権利を認めることによって、その発明を実現するために必要とされたコストの回収が期待できますので、(ビジネスとして)技術の進歩・発展を目指すためのモチベーションにもなります。
一方、その独占権を永久に認めるということは、社会の技術的進歩を妨げることにもなりますので、権利を主張できるのは一定期間に限られています。

著作権に関しても同様です。芸術活動の停滞を防ぎ、著作者の権利を保護するために権利を認められているものですが、特許権と同じく、一定期間を過ぎた後に権利は消失し、社会全体の資産となります。

どちらも知的財産を生み出すための活動を促進し、停滞させないために権利を認めているわけで、現代社会では必要なものではありますが、最初に書いたとおり、情報資産は複製が容易で、しかも今のようにデジタル化された情報が増えてくると、その複製のためのコストは、ほぼ0に近くなってきます。つまり、一旦、価値を生み出せば、今までの物質的な生産活動と比較して、圧倒的にお金(という名の情報)を生み出す打出の小槌のようなものになってきています。
(だからこそアメリカは知財の保護に躍起になっていると言えます)

まあ、味方を変えれば、最初に情報を生み出すためのコストは必要ですが、実はそれ以上の収入というのは、単なる幻想であり、実体の無い、まさにバブルのようなものと言えるかもしれません。

ちょっと考えてみてください。

あなたが、ある希少なエネルギー源(石油でも何でも良いです)の地図を持っているとします。そこからは無尽蔵にエネルギー源を得ることができます。
その地図を持っているのはあなただけなので、あなたはいつでもそれを取りに行き、町に帰ってきてそれを売ることによってお金をたくさん得ることができます。
一人でそれを独占していれば、あなたは町一番のお金持ちですが、皆に教えてしまうと、皆がそれを取りに行ってしまうので、希少価値は無くなり、自分が儲けることはできなくなります。ただし、おかけで町全体は豊かになっていきます。
さて、あなたはどうするでしょう?

これは、ものや情報の価値を、それ自体に置くか、希少性で決めるかという問題です。

誰も知らないことを知っている人は重宝されるでしょうが、同じことを誰もが知るようになれば特別役に立つ人ではなくなります。ただし、その時は、社会全体としては確実に知識レベルは上がっている状態です。

自分個人だけのことを考えて生きていくか、それとも社会全体のことを考えて全体のメリットを高めていくかという問題です。

例えば、会社で営業ノウハウを共有するためのデータベースを作成しようとしても上手くいかない原因がそこにあります。
ノウハウ・テクニックを持っている人間は、それを周りの営業にも提供し、会社全体としての営業スキルを底上げして行った方が会社としては得であり、全体のパフォーマンスが上がるのですが、ノウハウを提供した個人にとっては特にメリットが無い。むしろ相対評価されれば、他の人のレベルが上がっていくのでむしろ評価が下がる可能性や、自分の顧客が取られてしまう可能性すらあるからです。

このように組織としての最適解と、組織を構成する個人の最適解が必ずしも一致しないのは「囚人のジレンマ」の問題でいろいろと研究されていますが、ポイントとなるのは、自分の周囲の人たちの情報が掴めないというところにあります。その他にもビールゲームなどのビジネスゲームによっても、情報の分断によってどのような問題が発生するか実体験できますので、機会がある方は体験してみると良いかと思います。

さて、今までのブログ記事の中でも、視野を広げるということについては何度か書いてきましたが、個人の利益だけを考えるのか、そうではなく社会全体の利益を考えるのか、その立場の違いによって行動が変わってくる気がします。

最初に書いたように、知財権は、元々、技術の進歩や芸術活動を停滞させることが無いようにという考え方ですから、例えば、ベーシックインカムが実施された社会で、生活そのものの不安が無くなれば、純粋に創作活動や知的好奇心からの研究開発による技術発展も進むかもしれませんし、より純粋な知的活動というのが促進されるのかもしれません。
その時、情報が持つ価値そのものに変化はないでしょうが、情報に不当な価値をつけて詐欺的に利益を得ている情報商材屋って、どうなっていくんでしょうね?
もちろん、そのときには知財に関するルールそのものを見直していく必要はあるわけですが…。

人が個を意識して生きていく時期から、精神的群体として全体を意識して生きていく時代に移行するまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

ちなみに僕もコンサルタントという知識や知恵を商品として扱う仕事をしているわけですが、知識は使わなければ腐っていくと思っているところもあり、割と無料で自分のコンテンツを提供したり、かなり低価格でセミナー講師を引き受けたりすることもあります。
まあ、霞を食べて生きていけるわけではないので、お金を頂く時はきっちりと頂いていますが、やたらと情報を囲い込んで腐らせてしまうよりは、情報を気持ち良く出して、逆に何かあったときにはブラッシュアップしてもらったその知識を戻して使わせてもらうような、コピーレフトやGPLみたいな考え方って、もっと広がると良いなぁって思ってます。

まあ、無料で手に入れた情報は、どんどん広めていって社会全体が良くなる方向に進歩してけるのって、今のICT社会の恩恵だと思います。
もちろん、パクりとかは無しで(笑)

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