何度か、理想についての記事を書かせていただいています。
理想を心に抱くことは、先の記事にも書いたとおり、人にとって絶対に必要なことだと思うのですが、空想や夢想と理想の違いって何なのでしょう?
一言で言えば、理想は
「現実にするべきもの」
だと思います。
自分にとっての理想、会社や組織にとっての理想、社会としての理想など、様々なレベルでの理想があり、社会や人類にとっての理想という大きな理想など、場合によっては自分の生きているうちには実現できないようなものもあるかもしれません。
しかし単なる空想や妄想、夢想のように、
「こうなったら良いなぁ…」
という、結果だけを思い描き、現実を見ない思考は理想とは言えないでしょう。
少なくとも、本気でその想いを現実にしたいという意思があるのであれば、今、この時点の現実から目を逸らすわけには行きません。
空想や妄想がダメだと言っているのではありません。空想を空想のままで終わらせてしまうのは、理想とは言えないですよということです。
空想を理想に昇華させるためには、前にも何度か書いているように、視野を広げるということが必要です。
ちょっと図に書いてみると以下のようになります。
例えば、昔の人が「鳥のように空を飛びたい」と想像したとします。
これは、単なる空想でしかありません。
しかし、それを実現するために、鳥や虫が空を飛ぶ仕組みを調べ、創意工夫をし、試行錯誤を重ね、「いつか空を飛べる」という道筋が見えたとしたら、単なる空想は理想に変わります。
つまり、自分が考えている空想と現実をつなぐ道が見えるのであれば、それは理想であると言えるのです。
もちろん、現実と理想をつなぐ、その道筋の途中には、解決すべき色々な課題があります。
その課題や問題点を無視しての理想は、単なる空想に過ぎません。それは、現実に変えるため努力やコストを無視しているからです。要するに、そこには、
必ずそれを実現するという意思が無い
からです。
「自分の理想(という名の空想)が実現されないのは、○○のせい、■■が無いから」
などという他責思考や、原因探しの言い訳に終止します。
本当に理想を実現したいのであれば、実現するための動きをするべきなのだと思います。
未来を考え、将来を見据えることは大切です。
ただ、それだけを考え、足元を見ずに進んでいくと落とし穴に落ちる可能性も転んで進めなくなる可能性もあります。
最初に書いたとおり、理想は現実に変えてこそ意味があります。
どのような理想を思い描いても、それは自由でしょう。
例えば、前の記事にも書いたとおり、僕は政治家こそ理想を語るべきと思っています。
マルクス、エンゲルスが語った科学的社会主義、共産主義は、ある意味、人間社会の理想でしょう。しかし、実際は、ソ連の崩壊に始まり、現実世界では上手く行っていません。
では、マルクス主義が単なる空想かと言えば、そうとも言い切れないでしょう。
ただ、その実現は、まだまだ、あまりに遠くて長い時間がかかりそうではあります。
単なるイデオロギーの問題ではなく、人間の教育、政治、人生観を含め、全ての人々がその理想を理解し、周囲の人々のことを思いやるという一人ひとりの人間的成長が絶対条件と言えるでしょう。
余談ですが、日本が世界で最も成功した社会主義国家と言われることもあるのは、興味深いです。最近はそうでもないでしょうが…。
さて、話を理想に戻すと、我々は、良くも悪くも、歴史に学び、世界に学ぶ必要があるのだと思います。コンサルの世界では、ベンチマーキングというような言い方をされることもありますが、時間的にも空間的にも成功例、失敗例を学び、単純に表面的なことだけを見るのではなく、その本質を見つめていくことによって、理想と現実をつなぐための様々な道筋が見えてくるのではないでしょうか。