理想を意識することの重要性

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先程のブログの中で、理想を語ることの必要性について述べました。

多くの人は、理想の状態とは異なる現実を生きていることが多いと思いますが、その状況を受け入れるということは理想を諦めるということとは異なります。
また、周りに流されて生きていけば良いということを意味する訳でもありません。

諸行無常の言葉通り、周りの状況も、自分の状態も刻々と変わっていきます。
その中で、周りに流されるということは、エネルギー状態の低い方向、つまり楽な方向へと流されることを意味します。

理想の状況を意識するということは、進むべき方向を意識するということです。
ゴールを明確にし、そこに向かって一歩一歩進んでいけば、歩みは遅くてもいつか辿り着きます。

前のブログでは、視野の広さについて説明しましたが、これをもう少しわかりやすく説明してみます。

下の図を見てください。

局所解1

図1

ここでは、簡単のため理想的な状況を山の高さで表すことにします。
理想的な状況はA地点です。
ところが、ある人が理想的な状況について意識すること無く、ただ目の前の状況を良くすることだけを考え、狭い視野(点線の中で表している状況)しか意識できなければ、自分の状況をより良くするために直近の状況を見て、今よりも良い状況にすることだけを考えて行動します。
結果として、C地点に辿り着き、そこが局所的な最適解、つまり自分から見える狭い世界での正解に辿り着きます。

局所解2

図2

しかし、より広い視野をもって見ることができれば、進むべき方向も間違っていて、理想の状況とは程遠いことがわかります。
もう少し広い視野を持ってAが理想の状況だと認識し、進むべき方向を間違わなければ、一時的に局所解(B)に辿り着き、そこから進むと今よりも状態が悪くなることがわかっていても理想に向かって進むことができるでしょう。

局所解3

図3

局所解4

図4


理想の状況と現状を比較し、いろいろとやっているのにも関わらず理想の状況になっていない理由は2つ考えられます。

1つは、単にやるべきことがまだ途上で、結果が出る水準に達していない場合。
もう1つは、方向性が間違っている場合です。

先程の図で言えば、B地点からA地点に進む場合、進むべき方向が正しくても、最初のうちは、やればやる程、状況が悪くなっていきます。
しっかりと理想像を心に抱いていれば状況の悪化に挫けることなく進んでいけるでしょうが、そこまで視野が広くなく、ただ周りの声や社会的常識に従って生きている人であれば、自分の状況が苦しくてしかたなくなるかもしれません。

偽スピやエセカウンセラーは、そんなときに「今までの常識を疑え」だの「バンジーを跳んでみろ」だの、悪魔の誘惑を耳元で囁きます。
そして、進むべき道を誤らせ、一時的な快楽だけを追い求めさせます。
もちろん、それは偽スピ教祖やエセカウンセラー自身の利益のため。

本来、正しい方向に進んでいたのに、視野が狭いせいで目の前の利益だけを見てしまう。
正直、哀れだな…と思います。

以前、「精神レベルの水平移動」という記事で、

コンサルタントやカウンセラーと呼ばれる人たちの役割は、視点が凝り固まってしまった人たちに対して視野を広げてあげる、あるいは視点を上げてあげるということであり、単に別の視点に移し、そこに固定させてしまうということではない

ということを書きました。

もう20年以上も昔、今でいうスピ系に興味津々の人がいて、その人は「テレパシーが使えるようになりたい!」とか、「薬に頼らず、病気を治せるヒーリ...

最終的には、自分自身で自分の世界を作っていくしか無いのです。
万人に共通な理想像というのは無いのかもしれませんが、少なくとも、自分が世界の中で他の人と関わりを持ちながら生きていくのであれば、狭い夢の中に生きていくよりは、広い世界に目を向けた方が自由に生きられる気がします。

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登山

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