偽りの英雄・偽りの預言者

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前の記事で紹介した黒猫さんのブログのコメントに対して思ったこと、感じたことです。

>良くないなと感じるのは信頼できるあの人が言ってるから…と、根拠が提示されていないのに本当であるかの様に上書きされてしまうことと、誰かを「英雄」に仕立てあげてしまうことだろうなと感じています。

これは全くそのとおりだと僕も思っていて、こちらの記事の最後にも少しだけ書いてあります。

世の中には、いとも簡単に怪し気な話に引っかかってしまう人がいる。 …というか、かなり多い(笑)。 ちょっと考えれば、論理的にありえな...

必要なことは、内容について是々非々で考えることで、「信頼できる誰か」の言葉だからといって、無批判で受け入れるのはかなり危険だと思います。

「地獄への道は善意で舗装されている」

というヨーロッパのことわざもありますし、詐欺師は本当のことを繰り返して信用させてから大きく騙します。

旧約聖書のイザヤ書の中には

「正しい事をわれわれに預言するな、耳に聞きよいことを語れ、迷わしごとを預言せよ。 大路を去り、小路をはなれ、イスラエルの聖者について語り聞かすな」と言う。

という言葉が出てきます。
宗教的な解釈はともかくとし、人は自分の耳に心地よいこと、都合の良いことを取り入れがちで、正しいことを聞いたとしてもそれが自分の考えに合わなければ、それを受け入れるのはなかなか難しいことです。

そして、自分の主張に合わない現実が出てきたとしても(例えば予言や予想が外れたとしても)、それを認めず、別の解釈で自分の正当性を主張し始めます

新約聖書のマタイによる福音書には以下のように書いてあります。

にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。

(マタイによる福音書7章)

結論を言えば、何か信じたい言葉を言っている人がいたとして、その人、あるいはその人が語っていることが「良い実」を結んでいるかどうかについて注意深く見ることが大切だろうと思います。

その人の言動が他の人を傷つけていないでしょうか?
その人が語っている真実(と言っていること)は、世の中を幸福に導いているでしょうか?

僕は、真実を語る人というのは、品性があると思っています。
これは形式的なマナーを身につけているという意味ではなく、周囲の人々に対する配慮ができているかどうか?ということです。

僕が最も品性に欠ける人間と思うのは、相手によって態度を変えるような人

例えば、今の上皇様を想像してみましょう。
どんな人に対しても、とても真摯な態度で接しているように見えます。
だからこそ、各国の元首からも敬意を払われているのだと思います。

そしてもう一つ、良い実について、僕の考えを書いておきます。

人類は、自らに責任の無い、理不尽な差別や不遇な状況を解消する方向に社会を発展させてきました。
これこそが、人の善意であり、知性であり、「良い実」だと思います。

例えば、奴隷制度の解消などはわかりやすい例でしょう。
その他にも、性別による不当な差別、身体の障害や出自による差別。身分、国籍、最近だとLGBTに関する問題、年齢などなど…。

自分の力ではどうしようもないことに関する不当な差別をなくすように社会を発展させてきました。
それは社会がグローバル化を進めるに従って、地域的文化や伝統による差も小さくなってきて、より合理的な配慮がされるようになってきます。

ただ、グローバル化を拗らせると伝統や文化を軽視したり、逆に振れるとグローバル化自体を敵視するという極端な思考に陥ることになるので、そこは気をつけた方が良いでしょう。

以前、こちらの記事にも書きましたが、自国中心主義と愛国心は違うというようなことです。

いくつかブログを持っているので、どこに書こうかなぁ~と思ったのですが、取り敢えずこのブログに書いておこう。 昨年12月に、お隣の韓国が...

真のグローバル化というのは、世の中の均質化(同一の価値観のみを認める)ではなく、自分以外の価値観を認め、尊重し、調和を進めていくということです。

同質化・均質化(Homogenization)と、調和(Harmony)とは似て非なるものであり、自分の考えに固執し、他の考え方を受け入れず排除するというのは、狭い視野に陥った人間に見られる行動パターンです。

僕は、聖徳太子が作った「十七条の憲法」の最初に書かれている
「和をもって貴しと為す (以和為貴)」
というのは、理想的な社会を創るための本質であり、時代が移り変わっても忘れてはいけないことなのだと思います。

こちらは以前書いた記事ですが、こちらも参考にしていただければと思います。

たまにコメントを書かせて頂いているこちらのブログで、興味深い記事がUPされていました。 【不幸の始まり】特別を重視すること 昨日、生...

勝手に英雄に祭り上げられ、結果を出せずに勝手に貶められる人。

探せばいろいろといるような気がしますが、僕が思いつくのは亀田大毅(笑)。

元々、好きなボクサーではなかったのですが(むしろ嫌いなボクサー)、マスコミ(主にTBS)に亀田三兄弟と祭り上げられ、本人も無理してなのか調子に乗ってなのか知りませんが、ビッグマウスで当時のチャンピオンに「負けたら切腹」を宣言し、結果は反則負け(笑)。
その後、諸悪の根源の父ちゃんは謝罪会見からも逃げ、長男の亀田興毅が謝罪会見をするという体たらくでした。
(ちなみに当時の父、亀田史郎氏のこの態度に対して、櫻井よしこ女史が

「父として人間として卑怯者だと思う。卑怯者というのは卑怯者以外何者でもない。本当に唾棄すべき存在だと思う」

と、非常に厳しい口調で切り捨てています。
https://www.j-cast.com/2007/10/29012666.html )

元々、アンチも多かったので、そのときはネットでは大騒ぎでしたね。

周りの雰囲気で勝手にヒーローを作り出し、結果を出せなかったヒーローをこれまた勝手に引きずり下ろすって、本人も周りも不幸だなと思います。

どんなことでも同じですが、周りに流されず、自分で判断し、自分で決定する。これが自立し、自由になるということだと思います。

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