陰謀論とルサンチマンと恨(ハン)

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昨日書いたブログについて御紹介頂き、そこからまたインスパイアされたので、ちょっと追加で書き留めておきたいと思います。

陰謀論にハマる人というのは、先日書いた記事のとおり「他の人が知らない真実を知っている自分」という特別感を持っている傾向があると思いますが、もう少し詳しく考えてみましょう。

なんか呼ばれた気がしたので…(笑)。 まず 「スピや陰謀論にハマった人ってそれらを使って自分が正しいことを証明しようとしている??」...

まず、これも記事中に書いていますが、人間には知的好奇心があります。「何かを知りたい」「真実を知りたい」と思う気持ちそのものは誰でも持っています。
そして、情報に溢れている世の中で、入手した情報が正しいのか間違っているのかについて判断することは非常に重要です。

僕がとても尊敬している出口治明氏は、

「数字・ファクト・ロジック」

で物事を考えることの重要性について語っています。

数字」は、「たくさん」とか「みんな」とか「いつも」など感覚的なものを根拠にしないということ。

ファクト」は文字通り、事実を根拠にすること。
主観や想像ではなく、エビデンスをもとに事実で物事を考えるということです。

僕はコンサル研修などをするときにも、受講者に対して「事実なのか想像や想定なのかは、しっかりと区別してください」ということを言っています。

世の中にはデマや噂話などが溢れていますが、その一方で、ファクトチェック活動もいろいろと行われてます。

ファクトチェック・イニシアティブ

ハフィントンポスト日本版のファクトチェックのページ。

そして、「ロジック」は数字とファクトをもとにして導かれている結論が論理的であるかどうか。論理的に飛躍がないかどうかをしっかりと考える必要があります。

以前、人の論理的な考え方のパターンとして「仮説形成」という方法があるということについて紹介しました。

ここ何週間か心屋信者の方とTwitter上で意見交換しているが、文字だけのやりとりは、なかなか難しい(自分の仕事上のテーマでもあるのですが…...

改めて説明すると

Aという事実があり、「Xを仮定すればAがうまく説明される」とき、(多分)Xだろう

という推論方法です。

ただこれはあくまでも「仮説」でしかないということについては気をつける必要があります。

前の記事で紹介したMさんの言葉についてちょっと考えてみましょう。

私は「偶然」というものはなく、起こるできごとのすべてが「必然」だと思っています。ですから、事故が起こるのも「必然」、残虐な殺され方をするのも「必然」、阪神大震災も「必然」です。すべてが因果の法則にしたがって起こっているということです。因果の法則についてはシャーリーマクレーンも本の中で述べていることですし、「シルバー・バーチ」の本にも記述されています。

しかし私は、本に書かれてあるからそう思うのではありません。
そう考えることにより、すべてのつじつまが合うからそう思うのです。

そう考えることにより」ということから、まさに「すべてが必然」と仮定することによりつじつまが合うから「すべてが必然」という仮定が正しいということを言いたいのだということがわかります。

ところがこれは「なぜつじつまが合う」と言えるのかについて全く語られていないという根本的欠陥がありますし、逆に「すべてが偶然である」という仮定をしてもつじつまが合うことから、何の証明にもなっていないことがわかります。

同じように「今、認識しているのは夢である」と仮定しても「神は存在する」と仮定してもつじつまは合いますよね。

ロジカルに物事を考える週間というのは非常に重要です。
僕は大学で学びましたが、できれば初等教育で形式論理学とかは学んだほうが良いんじゃないかなぁって思ってます。

さて、いよいよ陰謀論の話になりますが、上で説明したように、物事を考える際に数字・ファクト・ロジックというのは非常に大切な要素になるわけですが、陰謀論の一番の問題は、「ファクト」について「本当のことが陰謀によって隠されている」という前提に立っているので、「正しくない」という反証を受け入れませんし、「正しい」という情報だけ集め始め、自己の考えを強化するために使い出すというところです。

要するに、考えのベースが根拠のないものの上、それを認めないため、話が噛み合うことがありません

そもそも、なぜ今まで隠されていたり、秘密裏に行われてきた事実を自分が知ることができるのか?根拠は何なのか?問題が明るみになっているのになぜそれが解決されないのか?
考えるべきことはたくさんあるはずです。

ニーチェはルサンチマンによって、貧しき者、力なき者、卑しき者のみが善き者であるという価値転換が行われたと言っています。
ルサンチマンというのは、

弱者が強者に抱く反感であり、単なる反感ではない鬱屈した反感。相手を意図的におとしめることによって自分を相対的に高めようとするような、嫉妬と否定の入り混じった反感

ということができます。

陰謀論を信じてしまう原因の一端もここにあると言えます。
満たされない自分、評価されない自分の原因は、悪である強者。むしろ満たされない自分こそが善であるという鬱屈した思い。
同様の感情は、朝鮮文化における恨(ハン)にも見て取れるのではないかと思います。
これは、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれや妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものと説明されています。

もし、自分が陰謀論に惹かれてしまっているということに気づいたときは、自身を省みて、ルサンチマンや恨といった感情に支配されてはいないかと考えてみた方が良いのではないかと思います。

最後にもうひとつだけ追加。

上には弱者の感情について説明しましたが、社会的に成功者と思われている人にも陰謀論に傾倒していく人は確かにいます。
社会的な評価と自己評価が必ずしも一致しないということが理由の一つですが、その他にも、社会的な成功を収めるためには「イノベーション」が必要だと思っているのも理由のひとつなのかもしれません。

我々のようなコンサルタントもそうなのですが、従来の考え方にとらわれることなく、ゼロベースで物事を考えるということが重要なことであるというのは確かです。
それが、常識にとらわれることなく、新たな可能性・新たな理論に飛びつく一つの理由にはなり得るのですが、気をつけるべきは

Aが正しくないから、今まで間違いとされていたBが正しいとは限らない

ということです。

AもBも正しくないかもしれませんし、AもBも正しいかもしれない。
Aは正しくないわけではなく、一部が最適解ではないだけかもしれない。

いろいろな可能性があります。
上にも書いたようにロジカルな考え方をしっかりと学んでいれば、それらの可能性についても適切に考えられるはずですが、やはり、ロジカル・シンキングを学ぶというのは、非常に大切なのだろうと思います。

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