小人について

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

1年ちょっと前に、ついに連載が終了してしまった「浮浪雲」という漫画があります。
1973年に連載が開始されたということなので、何と、僕が小学校に入学する前から連載されていたという長期連載漫画です。

アニメ化やテレビドラマ化もされているので、知っている方も多いかもしれません。

連載の終盤は、主人公の雲さんは、あまり出てこなかったりしていたようですが、各エピソードは、とても考えさせられる題材、セリフの多い漫画です。

物語の中には、渋沢先生という非常に博学なお爺さんが出てくるのですが、その人が、同じく登場人物の青木師範(主人公の息子の先生です)との会話の中で話している「小人(しょうじん)」の話があります。

ちょっと長くなりますが引用してみます。

浮浪雲 十四巻『迅の巻』より

「ほほほ 悪人と善人 ふた通りございましょう。」
「ほほ もうひとつございますよ 青田様」

「はあ? 善人に悪人・・・はて・・・?」

「小人でございますよ」

「小人・・・」

「はい、悪人は罰することができましょう」
「善人はほめたたえることができます」

「しかし小人はねえ」「なんかいやーな感じでございましょう」

尻きれとんぼの意見をまくしたてる人

これもまた小人

こそこそせかせかして落着かずあきっぽく
そのくせ賢くとびまわり、
ひとたび失敗すればすぐにうなだれる。
こんなのにかぎって天下国家などとわめく

これもまた小人

いやしく多く食らい、
惰眠をむさぼり、
肉欲の海におぼれ、
いたずらに過労し自分を病ましめる

自分の過失を人や社会のせいにし、
言いのがれの思想を口にする

そしていよいよ追いつめられると
神妙になり神に伏して祈る

自分の魂を抜きにしての神だの

…これも小人。

自分より上の人を見ましてねえ、
自分もあのようになりたいとお思いになるんでしょうが、
そうなるための
努力や修行はなさらない…

だんだんその人を嫉妬するようになり、うらんだりする。
いたずらに嫉妬いたしまして、努力して自分を引き上げて
その人に近づこうというのではなく…
その人を自分のところまで引きずり降ろそうとします。

これを見ると、自分と自分の周りはどうなんだろう?ということが頭に浮かびます。

最近、(異常に)承認欲求の強い人達っていますよね?
(所謂、意識高い系(笑)の人たちとか)

そういう人たちって、仮想的有能感を持っているのでしょうが、あくまでも「仮想」でしかないので、実績や経験、努力に基づくものではなく、自分(と仲間たち)の中でしか通用しない有能感です。

もちろん、今のように先が見えない時代、過去の(特にたまたま運良く手に入れた)実績にだけ拠り所を求めるというのもどうかという気もしますが、周りの人から認められるだけの「何か」が自分(と仲間たち)の中でしか通用しないのであれば「何が足りないのか?」について考えるべきでしょう。

  • 認められないのは、相手が悪い
  • 自分はやることはやっている(←ホントは「自分なり」にしかやってない)

なんていうのは、子供の言い訳です。

自分一人が、その状態になっているのであれば、逆に気づきやすいのかもしれません。
僕が傍から見ていてイタいなぁ…と思うのは、むしろそういうコミュニティが出来上がってしまっている場合です。

  • やることをやらずに、結果だけ求めている人
  • 閉じた世界で、お互い(だけ)を認め合っている人たち

が、お互いに慰め合い、

俺たちスゲー!
理解できないあいつらバカ(笑)!

みたいに、共依存っぽく集まっているのを見ると、本当にいたたまれない気持ちになります。

自分は自分で、きちんと生きていかなければならないと考えるのですが、そういう人たちからも何かを学ぶとするならば、

  1. 自分だけの価値観ではなく、常に違う視点からも自分を見つめ直す
  2. 上下、勝ち負け、正誤、成功/失敗だけで物事を考えない

ということを自分への戒めとして生活していかなければならないなぁ…ということかなと思っています。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学・思想情報へ
にほんブログ村

小人

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする