嫉妬という感情

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前の記事で引用した言葉の最後に

だんだんその人を嫉妬するようになり、うらんだりする。

というものがあったので、ちょっと思い出したことを書いておきます。

よくキラスピ系やエセカウンセラー系の人たちが、世間から批判されたときに

「嫉妬」

という言葉を使っているように思います。

「キラキラしている自分たちの生活」、「楽しそうにしている自分たちの生活」が羨ましいから、嫉妬心からそのように批判しているのだ

と感じているようです。

まともな感性を持っている人であれば、その受け取り方自体が歪んでいて、相手の言っていることを正しく認識できていないと感じると思いますが、キラキラしていて羨ましいから、楽しそうにしていて羨ましいから、批判されているのではなく、自分たちの活動が、他の人に対して迷惑をかけているから、あるいは心配や恐怖感を与えているから批判されているのだということを自覚すべきでしょう。

某心○氏のところでは「拗ねる」とかいう言葉を使っているようです。
(むしろ、拗ねているのは、歪んだ認識をしている自分の方だと思うのですが…)

「そんなこと言っているけど、本当は私のことが羨ましいんでしょ?」

という感覚は、ストーカーが

「そんなこと言っているけど、本当は俺のことが好きなんだろ?」

とか言っているのと全く同じ思考です。

ちょっとだけストーカーについて調べてみると、やはり「相手の立場に立って考えることが苦手」な人が多く、自分の言うことが正しい、自分の要求を相手が飲むのが当然と考える人が多いようです。
そして、自分の要求を拒否されること、認められないことが、即、人格否定につながるひとが多いみたいです。
これって、やはり、何となくですが、偽スピ系やエセカウンセラー系に嵌まる人と同じ傾向の人が多い気がします(統計を取ったわけじゃないですが…)。

感情のコントロールって、社会生活を営んでいく上で重要なんだろうなと、改めて思います。

たまに「人間なんだから、感情があります!それを素直に出して悪いんですか!?」みたいに開き直る人がいます。

確かに、感情を押し殺してしまうばかりだと、心を病んでしまう人もいるでしょう。
ですが、単に感情があるというだけであれば、人間だけではなく犬でも猫でも感情はあります。

喜んだり、悲しんだり、恐れたり…。

人間は成長の過程で、それらの感情をうまくコントロールし、振り回されない術を身につけていきます。

単に感情を顕にし、それに振り回されて感情を爆発させるだけであれば、動物と変わりません。
人間は、豊かな感情を持ちつつも、それに振り回されることなく、ある人は創造的活動に活かしていったり、またある人は、その感情を人とのコミュニケーションを円滑にするための道具として使っていくことを学んで行く必要があるんだろうな…と思います。

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ストーカー

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