人の認知パターンについて

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ここ何週間か心屋信者の方とTwitter上で意見交換しているが、文字だけのやりとりは、なかなか難しい(自分の仕事上のテーマでもあるのですが…)。

で、意見の食い違いや読み間違いなど、いくつかのやり取りを通して、感じたことを少し…。

僕は、仕事にも役立てようと思ってNLP(神経言語プログラミング)を学んでいます。

NLPの中には、メタプログラムという考え方があって、人間の認知パターンや行動の傾向をある程度、パターン分けしている。認知や行動の「癖」と言っても良いかもしれない。
(ちなみに、何でメタ・プログラムというのかは知りません。あまり良いネーミングではないと思う(笑))

パターンには色々あるのだが、今回、感じたのは

同一性重視型/変化重視型」と「スコープ」に関すること。

同一性重視型/変化重視型については、人の行動に関する傾向の分類にも使われる。
要するに、

同一性重視型は、同じ環境に留まりたがり、変化重視型は、変化を好む

もう一つ。

同一性重視型は、同じ部分に着目し、変化重視型は、異なる部分に注意が向きやすい

スコープは、全体型/詳細型に分かれ、
全体形は、

ざっくりと全体像を把握しようとし、

詳細型は、

細かいところまで正確な情報を欲しがる

という傾向があると言われています。

僕は明らかに同一性重視型で、全体型なのですが(適当とも言うw)、そういう人間が変化重視型かつ詳細型の人間と話をすると

「え!?そこ気にするの?」
とか
「それは確かに違うけど、同じ考え方で行けるよね?」
みたいな感じになります。

ものごとを抽象化して見ることが多いので、ざっくりと全体像を見るので大まかな仕事は早くできるのですが、細かい分類とかは苦手です(めんどくさいw)。

また、人間の論理的考え方の代表的なものとして、
帰納的推論」と「演繹的推論
があります。
論理学を学んだ人は、ご存知の方も多いと思いますが、

演繹的推論は、代表例として三段論法があります。

人は必ず死ぬ

ソクラテスは人である

ソクラテスは必ず死ぬ

みたいなやつです。

もっとざっくり言えば、
「AならばB」という前提の下、Aであれば「Bである」という結論が出る
というのが演繹的推論です。

帰納的推論は、
「一昨日は東から太陽が昇った」「昨日も東から太陽が昇った」「今日も東から太陽が昇った」
だから「毎日、東から太陽が昇る」
というような一般化です。
ある意味、経験則に基づくものといえます。
(ちなみに高校などで学ぶ数学的帰納法は、実は演繹法だったりします)

上の例は「枚挙的帰納法(狭義の帰納)」と呼ばれるもので、これがしっくり来る人は、個別の事実・証拠にすごくこだわるのだと思います。

僕はと言えば、根が適当なので(笑)、仮説形成という方法の方がしっくりくることが多いです。
これは、

Aという事実があり、「Xを仮定すればAがうまく説明される」とき、(多分)Xだろう

という推論です。

えぇ。とてもざっくり、適当ですとも(笑)。

ただ、これ。結構、物理学なんかでも「予測」として使われる手法です。
例えば、日本初のノーベル賞を取った、湯川秀樹博士の「中間子理論」。
これは、当時、考えられていた原子核の構造を考えたときに、どうにも振る舞いが不思議なところがある。そこに「中間子」という粒子の存在を仮定すると、うまく説明できる。
ということで、その存在を予言し、見事にその実在が確認されています。

まあ、そんな感じで「こう考えると上手く説明できる」っていう推論も結構なされるっていう話です。地動説とかもそうですしね。

その他にも、いろいろとメタプログラムで考えられている認知パターンはあるのですが、それらの傾向や癖みたいなものを考えつつ、相手と接していくようにするとストレスも多少は軽減されてくるかもしれません。

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