たまにコメントなどをやり取りさせて頂いているブログ(波動探求と日本再発見と物書きをしております。)の事が心屋仁之助氏のFacebookで取り上げられ、信者様たちから一通り文句や悪口のコメントがなされた後、僅か数時間で早々に削除されたようです。
詳しくは以下のリンクからどうぞ
以前、「叩かれるために生まれてきた子供」発言の際にも、指摘した精神科医に対してファビョって書いた記事を数時間で削除したということもある心屋氏。
その他にもtwitterユーザーをブロックしたり、ブロックを外したり、ラジバンダリ(古いw)
まあ、相変わらず小さい人間だなぁ…と思うわけですが…。
エゴサしたのか、誰かに聞いたのかは知りませんが、1年も前の記事を取り上げて
「ヒマなひとがおるもんだわ」
と、わざわざFacebookに書き込んだり、すぐ消したりという自分の方が、よっぽどヒマなひとだと思いますが、まあ、それはどうでも良いや(笑)。
コメントの中にあった
「ぢんさんとほぼ同じことおっしゃってますよね」
というのも、以前、自分のブログで「自由になるということ」という記事に書いたとおり、僕の書いていることと同様「同じことではないか」と感じる人たちがいるんだろうなぁということは感じます。
それについても、また後日、改めてまとめておこうと思います。
さて、心が揺れ動いているのか、ブログやFacebookの記事を書いたり消したり、お忙しい心屋氏ですが(記事は「書いても良い」「消しても良い」なんですかね?(笑))、アメブロやtwitterやFacebookなどをよく使っています。
ただ、それらの使い方について、もうちょっと、きちんと意識した上で使っていった方が良いなぁと思ったので、別に心屋氏や、その信者たちに向けてというわけではなく、自分自身のメモとして書いておくことにします。
以下は、もう8年程前、Facebookのノートに書いた内容。
ちょっと長いですが引用しておきます。
Facebookでのつながりについて
2011年4月22日 10:57今年になってから、日本でもFacebookがすごい勢いで広がりを見せています。
そんな中で、Facebook上での繋がり(友達申請の許可)に色々な意見が出てきました。
なるべく繋がりを絞るという考え方と、どんどん繋がりを広げるという両方の人がいるようです。
他のSNSよりも実名登録という縛りが厳しいので、プライバシーの観点から敢えて友達申請を拒否、あるいは保留にしておくという考え方も当然出てきます。
私自身も、基本的にはFacebook以外のどこかで知っている(リアルに知っているか、ネット上での知り合いかはこだわっていません)ことが前提で申請許可しています。
人によっては、リアルに会ったことが無い人や名刺交換しただけの人は拒否としている人もいます。
最終的には、使う人が自分で使い方を決めれば良いのですが、個人的には、元々、よく知っている人の間だけでFacebookを使うのはもったいない使い方なのかなという気がしています。
Facebookを単純にコミュニケーションの手段として考えたときに、元々、良く知っていたり、良く会う人との間でだけ使うのであれば、リアルに会ったり電話やメールを使うのとそれ程、違いが無い。もちろん、今まで以上に深い付き合い方になる可能性はありますが…。
アメリカの社会学者であるマーク・グラノヴェターという人が、「弱い紐帯の強さ」という仮説を出しています。
これは、価値のある情報の伝達やイノベーションの伝播においては、家族や職場仲間のような強い繋がり(強い紐帯)よりも、ちょっとした知り合いや友達の友達というような弱い繋がり(弱い紐帯)が重要であるという社会ネットワークの理論です。
元々は、企業と人とのジョブマッチングのメカニズムを調べるための研究に由来しているようですが、仕事を見つけた人の半数以上が人的ネットワークを用いて仕事を見つけ、しかもその人的ネットワークの中でも弱いネットワークを使って仕事を見つけた人のほうが満足度などが高いという結果が出ているようです。
つまり、自分を含む強いネットワーク情報は互いに既に知っている情報であることが多く、それに対して、弱いネットワークからの情報は、自分にとって未知の重要なものであることが多いということをあらわしています。
Facebook上での繋がりを、ここでいう強い紐帯に絞ってしまうと、せっかくの機会をみすみす見逃してしまうことにもなりかねません。
かといって、プライバシーの問題もありますので、そこは個人ページだけではなく、グループ機能やFacebookページをうまく活用することが必要になってくるのかなと思います。
Facebook上の繋がりのいうのは、最近はやりの言葉でいえば拡張現実(AR、Augmented Reality)にあたるのかなと思っています。リアルな世界での繋がりを少し拡張しつつ、ゆるい繋がりを保ち、自分自身の生活をより豊かなものにしていくために活用できれば良いのではないでしょうか?
一方でtwitterは拡張現実というよりは仮想現実みたいなところがあって、匿名性の高さから、ちょっと違った使い方になるのかなという気がします。Facebookとは重なるところも、重ならないところもあるので、双方の良いところをうまく使い分けながら、使っていくことが重要ではないでしょうか。
(強調や赤字は今回の記事のためにつけています)
ここで「拡張現実」ということを書いていますが、Facebookって今でも拡張現実みたいなところがあって、(多少ゆるくはなっているようですが)実名登録ということもあり、現実に存在する人間同士のコミュニケーションを、より広げていくという機能を持っていると思います。
その機能を上手く使うことによって、普段、あまりリアルに会う機会が無い知人や、ちょっと疎遠になってしまった友人・知人などが、今、何を考えているのか、何をしているのかを知り、お互いにやり取りをすることができるようになっています。
一方で、twitterやアメブロなどは(僕は実名及び、簡単に実名を検索できるようにしてやっていますが)、引用した記事にも書いたように、むしろ仮想現実的な特徴の方が強く、それゆえに、普段、リアルな世界では出せないような本音を出したり、匿名性によって現実の柵に縛られないような情報を発信することがしやすくなっていると思います。
これら2つの特徴をきちんと把握しておかないと、今回、心屋氏がやったように
記事を消して、無かったことにする
といったことをやってしまいがちになるのかなと思います。
そもそも、ネットの世界では、一度発信した情報を完全に削除するということはなかなかできませんし、Facebookのような拡張現実の世界で、拡張された部分(Facebook上での発言)だけを誤魔化し、削除してしまったとしても、本体は残ってしまうわけですから、現実を変えることはできないわけです。
そして、引用文のメインである「弱い紐帯の強さ」について。
本当に価値のある情報というのは、同質の情報だけが常に流れてくる「強い紐帯」の集団には、あまり期待できず、むしろ、普段、自分たちが目にする情報とは少し異なる情報の中にこそあるのではないかと思います。
(縦でも横でもない、斜めの関係とでも言えば良いでしょうか)
いつも同じ情報や自分たちと同じ考えの人たちの中にいれば、楽で心地良いですし、自己承認欲求を満たされることも多いと思いますが、自分は、いろいろな意見を取り入れつつ、自分の中で熟成・発酵させて、自分のものとしていきたいなぁと思います。