『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』を書いた人にとっての成功とは何なのか?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』という本がある。
書いたのは、八木龍平という男。
以前は、本屋に平積みになっていたこともあるから、まあそこそこ売れたのだろう。

で、タイトルに書いたように、彼にとって「成功」とは何なのか?
ぶっちゃけ、この本を読んだことが無く、実際のところは知らないので「多分、こうだろう」という想像。
(本当は、きちんと読んでから書くべきなのだろうが、正直、全く読む気がしないw。調べたら図書館には置いてあったのでそのうち読む。買う程の価値があるとはとても思えない)

まず、一般的に「成功」というのが何を意味するのか?

辞書によれば

  1. 物事を目的どおりに成し遂げること。
  2. 物事をうまく成し遂げて、社会的地位や名声などを得ること。

とある。

辞書的に言えば、個別の物事に対して成功というのが成り立つので、例えば「実験に成功する」「交渉に成功する」など、一時的なことにも使うが、この本のタイトルが意味しているのは、2番目に説明している
「社会的地位や名声を得ること」と考えて良いだろう。

それは、この本の最初に「天下をとった人はこの神社に行っていた」などという地図を載せていることからも想像に難くない。

つまりは、この本の筆者である八木某とかいう男は、

成功=社会的地位や名声などを得る

と考えていると言って、まあ間違いないだろう。

それは、辞書的にも正しいことではあるのだが、問題はその「社会的地位」「名声」を彼がどう考えているかということだ。

もうひとつ。
この本の最初にこういうことが書いてある。

世の中をよりよくする「成功していく人」

これを考えると、成功者は世の中をよくしていくとも考えているらしい。

つまり、彼が考えている成功者は

社会的地位・名声を持ち、世の中を良くしていく人

なのだろう。多分、そう。

そしてこの本のタイトルに移るのだが、

成功している人は、なぜ神社に行くのか?

というタイトルは、そもそも何を意味するのか?

普通に読めば、「神社に行けば成功する」ということを論じていると考えるだろう。
(本の冒頭にもそんなことが書いてあるから、本論でどう言っているかは知らないが、著者自身、タイトルからそのように想像して購入する人が多いと考えていると推測できる)

もうちょっと考えてみると、このタイトルから考えられるのは次の通り

  1. 成功している人は神社に行く → でも因果関係は無い(元も子もない論)
  2. 神社に行くと成功する → 神社に行くことが成功の十分条件(でも、神社に行っても成功していない人がいる)
  3. 神社に行くと成功の必要条件がいくつか満たせる → 神社に行くことが成功への近道(でも、神社に行かなくても満たせるのは、神社に行かなくても成功している人がいることから明らか)

の3つ。
「統計データから」とか書いてあるから、3とかについて書いてあるんですかね?どんな統計使ってるか知らんけど。

でも、ぶっちゃけ3について書いてあったとしても、神社に行って成功のための条件の大半が満たせるというのでもなければ、あまり意味はなさそうに思うのだが、どうなんでしょうかね?

そもそも、ブログとかパラっと読んだ限り、この八木某とかいう男自身、こんな本を書くくらいなだけあって、神社にはよく行っているようだが、大手企業を辞め、「自分は霊能者です」と、訳のわからん本を出して、妻は死にかけの爺さんに寝取られ、離婚し、それで「成功した」と言えるのかね?
もし、上記2のように神社に行けば成功するみたいなことが書いてあったら嘘・間違いだし、3だとしても決定的要因になっていないなら、全く無意味な本。

以前、別の記事で書いたように、僕はこういうアカデミックなふりをしてスピを語る人間が大嫌いなのだが、自分が成功してないのにこんな本を出すなんて片腹痛いってやつですよ。

まあ、「僕ちゃんは成功している」って言い張るかもしれませんけど(笑)。

神社に参拝するのであれば、「成功したい」からではなく、感謝の気持をもって参拝していただきたいものである。

努努、神仏を弄ぶことなかれ。

★YouTubeチャンネルはこちら★

やってみコンサルch

IT経営のNBIコンサルティングTV

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学・思想情報へ
にほんブログ村

神社

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする