スピ系でも変なネットワークビジネスでも、やたらと「感謝」という言葉を口にする人がいる。
もちろん人に対する感謝は、とても大切だし、いろいろなことに感謝できない人はちょっと問題かなぁとは思うのだが、上に書いたような人が口にしているのは、どうしても「口だけ」に見えてしまう。感謝のバーゲンセールですか?って訊きたくなるくらい感謝、感謝と言っている。
「感謝することが成功の秘訣です」
「感謝することが幸せになるための秘密です」
そんなことを師匠(笑)から言われているんだろう…と思ってしまう僕はひねくれています(笑)。
じゃあ、成功しないなら感謝しないんですか?幸せになれないなら感謝しないんですか?
と、訊きたくなってしまう。
ありがとうを5万回唱えると奇跡が起こる!みたいな話を書いていた人もいましたね。
で、実際やってみた人のブログを見つけた。
http://z888z.hateblo.jp/entry/2017/02/19/094722
念のために書いておくと、感謝することが悪いと言っているんじゃない。感謝って心から湧き上がってくることであって、口先だけで感謝、感謝と言っていても仕方ないということ。ましてや、成功するためとか幸せになるためにって、ちょっと違うんじゃない?という気持ちになる。
ところで、感謝を述べるときに言う言葉。
「ありがとう」
これは、言葉通り「有り難し」から来ていて、滅多にないことなのだ。滅多にないような親切をされた、体験をした。だから「ありがとう」という言葉が口から出てくる。
人からの親切、誰かと奇跡的に出会ったこと、素晴らしい体験、この世界に生まれてきたこと…。それらが「ありがとう」なのだ。
語源を考えれば、ありがとうの反対が何なのかわかると思う。それは
「あたりまえ」
やってもらって当たり前、出会っても当たり前、こんな体験は当たり前…。
最近では、「自分は結局は愛されているから、何をしても良い」なんていうことをふれ回っている集団がいる。そこに「ありがとう」はあるでしょうか?「愛されても当たり前」と思っている人たちに…。
ついでだから、「すみません」についても書いておこう。
よく、「なんで感謝している相手に『すみません』って謝ってるの?」と疑問を持つ人がいる。
これは、「相手にこんなありがたいことをしてもらって、お返しをしないと私の心が『澄みません』」ということなのだ。
相手の「有難き」親切に対して、お返しをすることによって、自分の心が澄んでいく。
これが人の心のやりとりなのだ。
ありがとうの反対の「あたりまえ」が心に棲み憑くと、心のやりとりがなくなり、一方通行になる。心が澄んでいないことにすら気づかなくなる。心が動かないから、心が澱む。
表面的に「感謝しています」「ありがとう」を連呼していても、自分の本心はどこにあるのか?もし、本心から感謝できていないのであれば、それは何故なのか?
自分自身の心を常に見つめてみるというのは大切なことである。