政治形態の進化形としての民主主義について

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まず初めにお断りしておきますが、僕は政治や経済のことについては小学生並みの知識しかありませんので(涙)、結構、思い込みで書いていたり間違いも多いと思いますが、それについては、きちんと御自分で調べてから考えてみてください。
あくまでも、自分の考えをまとめるためのメモとして書いています。

先日、EIU(英国エコノミスト誌)による民主主義指数が発表されました。
http://felipesahagun.es/wp-content/uploads/2019/01/Democracy_Index_2018.pdf

世界各国の順位でみると、

1位 … ノルウェー
2位 … アイスランド
3位 … スウェーデン

と、北欧の国々が上位を占めています。

日本及びアジア・オセアニア地区で見てみると

ニュージーランド … 4位
オーストラリア … 9位
韓国 … 21位
日本 … 22位
台湾 … 32位

となっています。ちなみに北朝鮮は167位で最下位。

ちなみに民主主義指数というのは、

  • 選挙過程と多元性
  • 政府機能
  • 政治参加
  • 政治文化
  • 人権擁護

という5つの部門から評価した指数だということです。

僕は必ずしも、民主主義が最高の政治形態だとも思っていないので、民主主義者ではないのですが(笑)、だからといって民主主義を否定する気もなくて、これまでの歴史の中で培われ、残ってきた政治形態として評価はしています。

ここで改めて「民主主義」とは何か?ということについて考えてみたいと思います。

民主主義は多数決で決めること

なんて言う人もいますが、それは間違いだと思っています。
もちろん、最終的に何かを決定しなければならないときに多数決で決める必要も出てきますが、それが民主主義の本質ではない。

僕は、民主主義というのは

全ての人が平等に権利を持ち、それぞれの主張を対話できること

だと思っています。先程の多数決との関連で言えば、必ずしも多数派が正しいというわけではない。
そして、この「全ての人が平等に権利を持っている」というのは、ある意味、理想的であり素晴らしいことなのですが、これは、

権利を持っている人たちが正しい判断ができる

という前提があってこそ(多数決によって)正しい結果を導き出せるということであり、僕は正直なところ、そこまで人間の知性を信頼していないので(笑)、民主主義者ではないということです。

ネットを調べると、ちょっとおもしろい記事があったので、紹介しておきます(ちょっと古い記事ですが…)。

民主主義で最高の結果を得られるほど人類は賢くない、という衝撃的な研究
https://buzzap.jp/news/20120307-democracy-impossible

この研究によると、
「もしあなたが無能なら、他人の無能さを判断する能力についてはさらに信用がならないということだ。」
ということが言われています。

そして、ここで紹介されている研究は

民主主義が独裁主義や他の政治形態よりも優っている点はただ単に「平均以下の候補者がリーダーになるのを防ぐことができることだけだ」とのこと。

と結論づけています。
そういう意味では、直接民主主義ではなく、間接民主主義、議会制民主主義というのは、まだマシなのかもしれません(余計酷くなる可能性もありますが)。

そう考えたときに、ITインフラ等が整い、大衆からの意見が届きやすく、個々人が情報発信しやすくなった現代、「アラブの春」ではないですが、どのような政治形態がより良く政(まつりごと)ができるのかというのは、考えていく必要があるのかもしれません。

ところで、よく民主主義と対比して出される言葉である共産主義についてです。

この使い方に関しては、僕は非常に違和感を持っていて、民主主義に対応するのは、独裁主義、あるいは全体主義といった言葉であって、共産主義に対応するのは資本主義ではないかと思う。
もちろん、歴史的に見て共産主義国家(かつてのソ連や中国など)は、民主主義ではなく一党独裁体制を取っていたところが殆どで、それが、このあたりの認識を誤らせる原因とも思うが、共産主義という言葉は、むしろ経済分野での思想に限ったほうがすっきりと分類できると思います。
(もちろん、いろいろな定義があることは認識の上、ざっくりと言っています)
ただ、共産主義の大枠である

基本的に私有財産を認めず、財産の一部あるいは全部を共同所有し、平等な社会を目指す

ということを考えたとき、やはりそれをコントロールするための政治体制として、民主主義と共産主義との共存というのは、その国で政治を担う人たち(もちろん、民主主義国家であれば、最終的には一人ひとりの国民)の高度な知性と、それ以上に高度な倫理観が必要なのかなぁとも思います。

かつてマルクスが

「共産主義が実現するにつれて国家権力は死滅へと向かう」

と言ったのを、スターリンが「共産主義へ向かえば向かうほどブルジョワジーの抵抗が激しくなるので国家権力を最大限に強化しなければならない」と否定したように、今の人類は、そこまで自分以外の人間や自分が属する社会全体を見ることができず、狭い視野で刹那的なものの見方しかできないのかもしれないと考えると、ちょっと切ない気もしますが、だからこそ、より高い視座を持てるような教育が重要であるとともに、「自分」だけの視点ではなく、「相手」からの視点、そして第3者的な視点で自分の行動を省みるという習慣をつけること、お互いに考えていることを知るコミュニケーションというのは非常に大切なことなのだろうなぁ…と感じます。

結局、民主主義を理想的に成立させるためにも、独裁制・君主制を理想的に成立させるためにも、権力者(民主主義の場合は当然、民衆です)が成熟していなければ、どちらも成り立たなくて、それであれば、最悪を避けるために民主主義が生き残ってきたというのが現実であって、独裁制・君主制でも民衆が幸せに生活できるまで人間の知性が成熟するまでには、あとどれくらいの年月が必要なんでしょうね。

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