1歳児の心(屋)

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こんなのがネットに流れてきたので、ちょっと調べてみた。

心屋仁之助つぶやき1

ああ、ここのところ、ネット上での批判が多すぎて、ちょっと疲弊しているのでしょうか?
ひょっとすると僕もその一端を担ってしまったのかもしれません。すみませんm(_ _)m。
(まあ、僕のブログなんて見てる人は殆どいませんけどねw)

でも、ここで書かれている

好きなことばかりしていると嫌われるらしいですよ

というのは違うと思いますよ。

好きなことばかりしていても嫌われない人もたくさんいます。

心屋さんとその周りの人々(信者さんですか?)は、好きなことばかりしていると嫌われたんですか?

嫌われるのは「好きなことをしているから」ではなく、「人に迷惑をかけているから」だと思いますよ。
利己主義に陥り、自分の利益のためだけに好き勝手なことをやり、それによって迷惑を被る人が多ければ嫌われてもしかたないでしょう。

自分の好きなことをやっても嫌われない人は、その人は自己の利益のために動くのではなく、周りの人を幸せにするのが好きだから。自分のしていることが他の人の幸せに繋がっているから嫌われないんです。

たったそれだけのことです。
好きなことばかりしていると嫌われるなんて、そんな勘違いをし、自分に対する助言を嫉妬による批判・非難としか受け取ることができないのであれば、いつまでたっても自己の行動を改善することはできないでしょう。結果として、いつまでもその状況(嫌われる)が続きます。

自由に生きるのと好き勝手に生きるのは、似ているようでいて少し違います。

スポーツなんかを考えてもらえばわかりやすいですが、選手は決められたルールの中で動き、その中で自由に工夫を重ね自己研鑽し、技術を磨いていくので、見ている人は選手を応援し、憧れ、感動するのです。

それが好き勝手にルール無視で反則ばかりしている選手・チームだったらどうでしょう?
結構前の試合ですが、伝説(笑)の亀田大毅と内藤大助のタイトル戦は酷かった。
あれ程、見ていてムカつく試合もありませんでしたが、ボクシングの試合にも関わらず、プロレスばりに相手を持ち上げ投げ飛ばし、セコンドからはサミングの指示まで出る。
これが好き勝手に生きるということです。
心屋さんの言っている「好きなこと」ってこういうことです。

社会の中で生きていくにあたって、当然、ルールがあります。
最低限のルールは人に迷惑をかけないということだと思います。それを心屋さんは無視している。

心屋つぶやき2

そして、結局、こういう結論ですか。
「俺は悪くない」
と言い張り、反省が無い人に未来はありません。

昔、世間を騒がせたオウム真理教っていうカルト集団で殺人事件の疑惑をかけられたときに、髭を生やした汚らしい教祖が

私はやってない。潔白だ

って歌ってましたね。結局、やってたわけですが。

心屋さんとその信者様たちも

「悪いのは批判する奴らだ。自分らは悪くない!」

と言い張って、自分たちの世界に閉じこもらない方が良いと思いますよ。まあ、完全に閉じこもって、世間に迷惑をかけないのであれば、それはそれで良いのですが…。


もう、20年以上昔の話になるのですが、うちの息子がまだ2歳になる前、当時、会社員だった僕が家に帰ってきたときに僕のところに寄ってきて

「今日、ママが○○君(←自分のこと)に意地悪をしたの。そして○○君は泣いたの」

と、片言の言葉で教えてくれました。

多分、何か危ないことか何かをして叱られたんだと思いますが、1歳児にとっては自分の思い通りにならず叱られたことを「意地悪をされた」と受け取ったようです。

心屋さんが、周りからの言葉を「批判」としか受け取れないのって、ひょっとしたらこれに近いのかもなぁ…という気がしました。

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駄々っ子

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