今回の内容は、仕事用のブログにでも書けば良いのかもしれませんが、一応、こちらにも…。
新型コロナ拡大の中、外出自粛要請や、場合によっては非常事態宣言が出されるのではないかという話も出ています。
命を守るということはとても重要なことですので、多少、不便な状況になったとしても不要不急の外出を避け、人との接触を極力しないようにして感染拡大を防ぐという方針は、当然、理解できることですし、自分が新型コロナに感染するという以上に、他の人に移してしまうという可能性を極力小さくするという意味でも、そのような方針には従う方が良いとは思います。
一方で、このような経済的損失が想像されるようなリスクに対しては、「経済を回すことも大切」とか「命よりも金が大切なのか」というような議論が湧き上がります。
どちらが大切ということではなく、どちらも社会生活を営んでいくときには大切であって、それらが(一見)矛盾しているときに、このような議論が生まれるのでしょう。
ところで、僕は仕事柄、いろいろな提案書を目にすることが多いのですが、その中で
「全体最適化を図り…」
のような一文を見ることが結構あります。
提案者に対しては「全体最適化」ってどういうことですか?と質問するのですが、意外と、納得の行くような答えがもらえることは少ない。
考えてみればそれは当然のことで、「最適」っていってもそれは人によって違うものであり、関わる人の間でコンセンサスが得られなければ、全体の最適化なんてできないからです。
国の最大の役割は、国民の「生命」と「財産」を守ることだと思います。
そして、今回の騒動では、その両方を守ろうとするとするときに矛盾が出てしまう(可能性がある)。
もう、世界中の人々全てが当事者といって良いと思いますが、それぞれがそれぞれの立場で「何が最適か?」ということが異なってきます。
ある人は、自分の生命が重要でしょうし、家族の健康が最重要な人、経営している会社が重要な人、地方自治体の首長、国会議員、総理大臣。
それぞれが、それぞれの責任範囲を持ち、何を最重要な事項とするかが異なるのだと思います。
責任範囲が拡がる程、問題は複雑になりますし、先程書いたように、もし矛盾するような目的と目標があれば、それをどう解決するか?あるいはどこを落とし所とするかも考えなければなりません。
当然、短期的な視点で考えるのか、中長期的な視点で考えるのかによっても方針は違ってくるでしょう。
何年か前に亡くなった政治評論家の三宅久之さんは、政治家として出馬しないかという打診が何度もあったそうですが、断る理由が
「政治家っていうのは、女房を人質に取られたときに、国民のためならそれを見捨てるぐらいの覚悟が必要で、自分にはそんな覚悟はない」
みたいなことを言っていたんですよ。
多分、各地域の首長も国会議員も、難しい決断を要求される時期だと思いますが、生命を守るのか、財産を守るのか、どこでどう折り合いをつけるのか、あるいは画期的な打開策を打ち出してくれるのか。
「最適解はどこにあると考えているのか」
を、覚悟を持って情報発信して欲しいなぁと思います。