ネットでこんなニュースを見ました。
立憲・安住氏「多くの国民はIRうさんくさく思っている」 野党でカジノ禁止法案提出の方針
https://mainichi.jp/articles/20191225/k00/00m/010/106000c
今話題の統合型リゾート(IR)事業に関する記事です。
IRに関しては、賛否両論あって当然だと思いますが、気になったのは安住氏のこの物言い。
「多くの国民」
彼らはよく、マスコミや政権与党に対して「国民は」とか「多くの国民は」のような言い方をします。
まあ、彼らも「一応」選挙で選ばれた以上、一部国民の代弁者ではありますが、「多くの国民」の代表ではないことは、彼らの議席数や支持率を見ても明らかです。
ちなみにこちらは、選挙ドットコムの調査結果。
https://go2senkyo.com/articles/2019/12/26/47471.html
電話調査とネット調査で大きく差が出ていますが、支持率が大きい電話調査の方でも立憲民主の支持率は12.5%。どう見ても大多数の国民の代表ではないですね。
まあ、支持政党だけでは、IRに関する意見はわかりませんし、IRを推進しようとしている自民、維新以外は(支持政党なしも含めて)胡散臭く思っているというのであれば、多くの国民と言えなくも無いですが、ちょっと無理矢理感はありますね。
ひょっとしたら、多くの国民というのは、割合じゃなくて絶対数なのかもしれません。
コイサンマンみたいに、1,2,たくさんになっちゃうのかも。
確かにそれなら、3人以上いれば「多くの国民」ですね(笑)。
それは冗談として、本当はきちんとデータを取った上で「多くの国民」などという言葉を使えば良いのですが、実際のところ、人間は自分が認識できる範囲が世界の全てです。
だから、自分の見たくない事実から目を逸し、自分に都合の良いことばかりを取り入れてしまえば、それがその人にとっての事実となり、世界の全てとなって行きます。
界隈に嵌っていく人も、パヨクと揶揄される人たちも、もちろんネトウヨも。
自分たちと意見を同じくする人たちとばかり交流し、異なる意見を持つ人たちを排除していたのでは、ますます自分たちの意見だけが正しいとしか思えなくなってきます。
(エコーチェンバー現象参照)
以前「スピと罠と視野の広さ」というブログ記事を書きましたが、視野が狭いと周りからどのような目で見られているかにも気づきませんし、当然、大局的なものの見方ができませんので、より良い方向へと舵を切ることも難しくなってきます。
昔話でも、裸の王様ってありますよね。
自分にとって都合の良いことばかり言って、自分の本当の姿から目を背けるのではなく、
「王様は裸だ!」
と言ってくれる人の言葉にも耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。