認定するということの責任

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仕事柄、頭ごなしに否定したり、色眼鏡で物事を見ないように意識しているが、それでもスピやエセカウンセラー界隈は、おかしなことが多く…。
まあ、詐欺師の言っていることの9割以上は正しくて、僅かばかりの嘘で人を大きく騙すのですが、それと似た構造は感じる。

つまり彼らの言っていることも、正しく適切に使えば人生を豊かにするし、救われる人も多いのだと思う。必要以上に自分を圧し殺し、自己評価を低くする必要はないし、過去の辛い経験は解釈の仕方によって自分の糧にもなる。

そんなことは、昔から多くの人から言われていることではあるのだが、それを正しく理解せず、自分の都合の良い解釈で自己の利益に使っている(ように見える)ところが批判の大きな原因の一つかなという気がする。
(ひょっとすると自分では、本当に良いことをしているつもりなのかもしれない)

昔から様々な人が伝えてきた叡智を、そんな中途半端で不完全な自分の都合の良い解釈で伝え、それをまた信者たちが劣化コピーして伝えまくるものだから、世の中に変な教えが撒き散らされているのかなと思う。

自分は、NLPという心理学の手法を学んでいて、ビジネス・プラクティショナーなる認定も受けているのだが、NLPに関しては、実は批判というか懐疑的な意見も多い。日本では割と受け入れられていることも多いけど。

で、自分がNLPを学びだしたのは10年以上前に書籍からなのだが、一応、きちんとお金を払って講座を受けてみた方が良いかなと思い、いろいろ調べた上で、4-5年くらい前に某コースを受講してみた。
そこに来ていた人たちの多くは、「人間関係を良くしたい」とか「コミュニケーションについてきちんと学びたい」というような目的で来ていたようだが、自分は最初から「ビジネスに活かすために学びに来ました」って宣言。まあ、はっきり言って、そういう中では異端児ですよね(笑)。

そんな感じで講座に通っているので、他の受講生みたいに、先生の言うことを素直に聞く訳でも無く、「そこはどうなってるんだ?」とか「そこは実社会の中では違うと思う」とか質問攻めにするし、疑問点もバンバン出すし、おかしいと思ったところは指摘する。先生もやりにくかったと思う(笑)。
でも自分は別にカウンセラーになる気もないし、使えるところは使うし、使えないところは使わないというスタンスなので、変に閉じた集団の中で自分たちに都合の良いコミュニティーに取り込まれる危険性も無いので、こんな感じで良いのかなと思ってる。

その講座は、その後も、定期的に受講生が集まりブラッシュアップをしています。

本当は僕はもう全然行く必要も無いのですが、内緒なのですが(と言って、ここで暴露w)、先生の方から「時間あるときに無料で良いから参加して下さい」と言われて参加してます。

結局、その先生も(その人だけじゃなく、こういった「何とかカウンセラー」とか名乗っている人には多そうですが)、職人技として人と対峙し、悩みを聞いたりカウンセリングすることはできたとしても、それを体系化したり客観的な第三者的な視点から見るということが結構苦手な人も多いんでしょうね。
(そういった意味で、この先生のように自己満足ではなく、別の視点からちょっと厳し目の意見を言ってくれる人間を取り込もうとするのは偉いと思う)

ただ、界隈でよく聞く「〇〇認定講師」というようなビジネス(敢えてビジネスと言います)をやるのであれば、

  • 認定した人が何をしなければならないか
  • どういうスキルがあって
  • どのようなことができるのか

をきちんと言語化し、それを伝えていくというのは認定している側の最低限の責任だと思う。

世の中の「〇〇認定講師」って名乗ってる人。
自分は何を学んで、何ができるようになっていて、どういう価値を提供できるから認定されているのか、きちんと世の中に説明できますか?

自分が伝えられ、学んできたことを、正しい形で周りに伝えることができているんでしょうか?

教祖の劣化コピーでしかない講師が、更に劣化コピーした講師を次々と生み出すことによって利益を得るなんていうビジネス・モデルは、自分では

「世の中の人の悩みを解決する仕事をしている」

とか考えていても、単にネズミ講ビジネスの一端を担わされているだけですよ。

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