今回の記事は心屋仁之助さんの書いたブログには絡めずに書こうかなと思ってたんですけど、ちょうど関連するような記事がUPされてました。
もう、めんどくさいからリンクしない。
KAIWAING的に言うと「シンクロニシティ」ですかね?(違)
ここから書くことは、実は僕はそんなに詳しくないので、ちょっとだけ想像が入ってます。
なので、心屋氏が本当にやっているかどうかというよりも、そういう話を聞いたということから、一般論としてこういうことを考えましたという風に読んでもらいたいと思います。
心屋氏はカウンセリングを行う際、本人が口に出して言えない言葉を言わせることによってトラウマを解消したり、癒やしを得させたりするらしいです。
「魔法の言葉」とか説明されているブログがありました。
これについて、「ゲシュタルト療法」という説明をしていた記事もありましたが、実際、僕もそうじゃないかと感じています。
ゲシュタルト療法は、心理学を学んだことのある人は聞いたことがあると思いますが、ゲシュタルト(全体を構成するまとまりの単位)の破壊と再構築を行う手法です。
(ちなみに僕はカウンセリングというのではなく、大学院で認知心理学が専門だったので、その際にアフォーダンスやゲシュタルト心理学について、ちょっと調べています)
で、ゲシュタルト療法というのは、破壊と再構築を行うため、劇的な効果も期待できるが、その反面、クライアントの症状を悪化させることもあるため、後々まで責任を持ってクライアントと関われるカウンセラーでなければ使うのが危険な手法らしいです。
以前、春名風花さんがこのようにDV風カウンセリングと評しています
心屋さんは昔から冷たいですよ。トラウマを掘り起こして泣かせた後最後に全肯定して優しくするDV風カウンセリングで、他者への共感力は低いです。でも弱っている相談者はむしろ突き放されたり抱きしめられたりすることで愛情を確認したり、カウンセラーに依存する事を求めているので需要は多いですね。
— 春名風花 official?? (@harukazechan) September 3, 2018
個人的には、心に傷を負った人に対するカウンセリングというのは、ジェンガのようなものだと思っています。
一部のKAIWAINGが使っているジェ○○ンガじゃないですよ。
ブロックを次々と抜き取って、倒したほうが負けというゲームです。
人の心って、このジェンガのようにたくさんの要素がバランスを取って積み重なっているようなものだと思います。
しっかりと積み重なっているときは問題ありませんが、生活の中で色々な経験をしたり、人と関わっていくなかで、ブロックがずれたり、抜き取られたりして、バランスを欠いてってしまうことも多々あります。
自分でそれを直していくことができれば良いですが、場合によってはお医者さんやカウンセラーに外部からズレを直してもらうことだってあるでしょう。
特にトラウマと呼ばれるものは、大きくずれて、ちょっとした刺激で他のブロックを揺らしたり、押したり、場合によっては全体を揺るがしてしまうような、問題の大きなブロックだと想像してください。
急に動かすと、全体が崩壊してしまうので、カウンセラーは、ゆっくりゆっくり、全体の状況を見ながら、そのブロックを正しい位置に戻していきます。
(あるいは取り除きます)
ところがゲシュタルト療法は、一旦、全体を崩してしまい、問題のあるブロックを取り除いて、再度組み上げる方法。
きちんと組み上げられないと、人格が崩壊してしまう。
何となくですが、心屋さんのやり方は、このやり方に近い気がしています。
あるいは、もっと乱暴に、組み上がっているブロックの途中にあるトラウマブロックを無理やり取り除くようなイメージ
全体がしっかり組み上がっていれば、一個のブロックを取り除いても全体が崩れることはありませんが、要石のようなものだったり、全体が既に不安定な状態になっていれば、ブロックを抜き取ることによって、ジェンガは崩れてしまいます。
ひょっとすると、心屋氏自身は天才で、ブラックジャックばりにトラウマを抜き取り、ロックバランシング並みの絶妙なバランスで崩さないようにしているのかもしれません(知らんけど)。
でも、勝手な想像でしかありませんが、心屋氏はこのトラウマブロックを抜き取ることを非常に簡単に考えている、あるいは抜き取った後に崩れるという可能性について想像できていないのかもという気がしています。
例えば、ある人の心のトラウマが、真ん中の赤いブロックであり、それを乱暴に取り除いてしまうと全体が崩れてしまうのに、最上部の赤いブロックを取り除けば済むと考えているような…。
さらに気になるのは、認定講師とか認定カウンセラーという人たちもまた、それについての認識が無いのではないかということです。
(実際、認定カウンセラーという人が、心屋氏のように、クライアントに対して言いにくいことを言わせてカウンセリング(?)をしているというのも聞いたことがあります)
上に書いたように、ひょっとすると心屋氏は天才なのかもしれない。
(多分、違うけど)
でも、認定されている人たちも、そのスキルが伝えられているのかどうか?
単に「魔法の言葉を言わせる」という表面的な方法論だけを伝えられて、安易にそれを使っているのではないか?
先日、「認定するということの責任」という記事を書きましたが、まともなスキル認定であれば、どのようなものでも、そのスキルを使うことによるリスクも一緒に教えているはずです(身近なもので言えば運転免許などもそうですよね)。
そういうリスクについて伝えられることなく、危険なカウンセリングごっこをやっていないかどうかがとても気になります。
以下は、何度か自分のブログなどで紹介したことのある記事なのですが、ハチワンダイバーという漫画のシーンを引用して、プロとしての覚悟を語っています。
漫画の中では、あるプロ棋士が暗殺者との勝負の際に
「プロ棋士にとって、将棋を指す事より恐ろしい事は、この世にはないんだよ。
おまえが…私を殺して将棋(ココ)から救ってくれるのか?」(略)
「だから、プロは強い。だから、プロなんだ」
という言葉を吐きます。
このブログを書いた人は、キネシオロジーや鍼灸などをやっている治療家のようですが、ブログの中で以下のように語っています。
他の治療家のことは知らないが、私は治療をすることにいつも怖さを感じている。特に新しい人を治療する時は、いつも言い知れぬ怖さを感じる。そりゃあそうだ。治療とは相手を変化させる行為。それを行うことによって何が起こるかわからないのだから。
だから、これでいいのか幾重にもチェックを重ねる。何かあってもリカバリーできるように準備もしている。それでも治療することへの怖さが消えることはない。
ただ逆に、治療することに怖さを感じている限り、自分はまだ治療家としてやっていけるとも思っている。だから鈴木八段の「「プロ棋士にとって、将棋を指す事より恐ろしい事は、この世にはないんだよ」という言葉は、私にとっては突き刺さるように自分の中の奥深くまで響くものだったのである。
そりゃ、そうです。
自分の仕事一つで相手の人生まで変えてしまうことがあり得るのですから。
これは、医者でも弁護士でも、本当の意味でのプロなら同じでしょう。
カウンセラーなんか直接的に相手の人生に関わってくる仕事です。
安易な気持ちで、未熟なスキルで、相手の心を弄んで良い訳はありません。
先程のジェンガの話に戻すと、そのようなリスクを認識せず、何重にもチェックし、何かあったときのリカバリー準備もしないまま、ジェンガを崩してしまう可能性が無いかどうか。
本来は、こういった「認定」をする人・団体は、そういう危険性に対するリスクマネジメントをどのように実施し、認定者に伝えているかを外部に説明するというのも責任の一つではないかと思います。