心屋さん、僕もバカなのかな?

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いろいろな意見や批判をもらって、最近、心屋仁之助さんは自分の考えが少しでも理解されるように、丁寧に説明しようとしている姿勢は評価できます

…けど、今回書いていたブログは、ちょっと僕には理解できませんでした。
彼のFacebookを覗いてみると、信者様(?)は

「すんごくわかりやすい」

とか書いてたけど、僕から見るとロジックに飛躍があり、むしろ彼の言っていることが「間違い」でしかないように感じてしまったのですが、先日の心屋さんのブログに書かれていた人のように、僕もバカなんですかね?

理解不能だったのはこちら。
彼のブログは無駄に長い(スイマセンw)ので、全文紹介するのは大変になっちゃうので、元のブログも確認してもらった方が良いと思います。

ということは

頑張らなければ
守ろうとしなければ
奪おうとしなければ

そのていで暮らしたり
活動をすれば

安心、安全、になる、ということ。

減るベースでがんばらないで!

これが
「がんばらない」ということ。

この引用の前には、安心が「減らない」と知っていたら、あるいは「減っても大丈夫」と知っていたら恐怖や不安はない。
そして、自分の中に「安心」がベースにあれば頑張る必要はない。

ということが説明されています(そういうことを言いたいんだと思う)。

これは、正しいかどうかは別として、彼の主張としてはわかります。
ところが何故、それについて

「ということは」

という言葉で結ばれるのか?
ここが全く意味不明です。ロジックが成り立たない。破綻している。

もうちょっとわかりやすく整理しましょう。

安心は減らない or 減っても大丈夫 → だから不安は無い → 頑張らなくていい

これは良いです。
「安心は減らない」っていうのは「前提」だから

でも、それはその前提条件が正しかったとき、受け入れられたときにだけ成り立つ砂上の楼閣のような論理。
ましてや

ということは、頑張らなければ安心・安全になる

なんていうことは、全くおかしな論理。
彼の言っていることをもうちょっと抽象的・汎用的に表すと

Aが正しければ、Bという状態になる

だから

Bという状態になれば、Aが正しくなる

ということです。

…あ、書いてて気づいたけど、これって世の中に蔓延っている「引き寄せの法則」と全く同じこと言ってるじゃんww。

抽象化ってすごいね。きちんと整理できる(笑)。

これを踏まえて、心屋くんの理屈をもう一度、整理します。

安心は減らないというのが正しければ、頑張らなくてもいい状態になる

だから

頑張らない状態を続けてれば、安心は減らないというのが正しくなる

ふーん(笑)

上に書いたように「安心は減らない」っていうのは心屋教の教義・前提だから、それはそれで良いです。信じる者は救われる。

であれば、心屋くんがやらなければならないのは、「安心は減らない」っていうのを、頑張らなくてもいいと思っている人たちにきちんと伝えることですね。

まあ、頑張ってください。
あ、頑張らなくていいんでしたっけ(笑)。

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砂上の楼閣

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