界隈とうんこ

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twitterを巡っていると、色々と刺激を受けて、考えが整理されてくることがある。
というわけで、ちょっと思いついたので書いておこう。

世の偽スピリチュアルやエセカウンセラーがよく言う

「我慢しなくていい」

とか

「ムカつくって言っていい」

とかいう甘い言葉が信者様にとって解放のプロセスになるのかもしれない。

我慢したり、心に鬱屈を抱えていると、その解放はあまりにも心地良く、信者を虜にしてしまうのかもしれません。

そこで思い出したのが以下の漫画の一コマ。

勇次郎

これは、漫画「バキ」に出てくる地上最強の生物「範馬勇次郎」のセリフです。

中国最強の武術家、郭海皇との戦いでの言葉なのですが、郭海皇は『消力(シャオリー)』と呼ばれる究極の脱力によって相手の攻撃を無効化してしまうという技術を持っています。要するに「力む」ということを否定しているわけですが、そんな郭海皇の技術を、範馬勇次郎は上のセリフで一蹴します。

まあ、確かに溜め込んだものを解放するその瞬間は気持ち良いですもんね。まさに解放のカタルシス(快感)。

うんこがしたくて仕方がないけれども、どこにもトイレが見つからない!
で、探し回ってトイレを見つけ、漏れる寸前でうんこできたら気持ち良いじゃないですか(多分w)。

界隈の教祖様たちが言っていることなんて、これと同じなんですよ。

小学生くらいの男子は、学校でうんこするのって、すごく勇気がいるじゃないですか(笑)。

「学校でうんこしてるのがバレて、明日から『ウンコマン』って渾名が付いたらどうしよう…」

とか、どうでも良いようなことで悩むものなんです。

そんなどうでも良いようなことで悩んでいる小学生に対して

「うんこしてもいい。我慢しなくていい」

って言ってるようなもん。

そりゃそうだ。我慢しすぎて病気になったり、うんこ漏らしたりするより、学校のトイレでうんこしたほうがずっと良い。

でも、いくら

「うんこしても良い」

って言われて、実際にうんこして気持ち良かったからって、その辺の道端でうんこしたり、人の家の玄関の前でうんこしたら怒られるじゃないですか。

教祖様のありがたいお言葉のおかげで、トイレじゃないところでうんこすることに快感を感じるような変態になっちゃったんなら、自分の家の中でやれって話です。

自分の家の中なら、リビングでうんこしようが、台所でうんこしようが、うんこだらけの部屋でカレーライス食べようがお好きにどうぞって感じです。
(臭いは近所に漏れないように気をつけてくださいw)

あるいは同じような趣味の人達だけで、お互いの家でうんこして楽しんでくださいってことです。

でも、例えばそんなことを望んでいない子供とかが、うんこだらけのリビングでカレーライスとか食べるのを強制されていたとしたら、それは虐待じゃないですか。そりゃ、

「虐待されている子供がいまーす」

って通報しますよ。

教祖様が

「君の娘さん、うんこだらけの部屋でカレーライス食べるために生まれてきたのよ。だからうんこしたくもないキミにうんこさせたのよ」

とか言っても、周りの人は

「うんこくらいトイレでしろよ!」

って思うわけです。

そりゃ、うんこしても良いですよ。当たり前です。
でも「うんこすると気持ち良い」ということにだけフォーカスして、その結果どうなるかを考えないと、周りの人の鼻つまみ者になるということは考えた方が良い。

うんこするときは、きちんとトイレでしましょうね(笑)。

…と、変な譬えで書きましたが、界隈に嵌っている人はきちんと理解してくれるかなぁ?

以前、ブログで書いたんだけれども、最近は譬え話が理解できない人が増えているらしいから

「私はリビングでなんか、うんこしません!」

で終わったりして(笑)

昨年から実施していた、twitter上での心屋信者さんとの意見交換。 その中で、僕が信者さんのことを「決めつけている」ということで揉めたこ...

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