言葉と知性の話

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今、Twitter界隈を賑わせているColabo問題。
発端は暇空茜さんという方の指摘のようですが、それについてはネット上にいろいろ情報がありますし、特にここで書くつもりもありません。

ここでは、暇空茜さんがnoteで書いていた「認知プロファイリング」というものについてちょっと興味が湧いたので、思いついたことをメモ的にのこしておこうと思います。

認知プロファイリングに関する具体的なことについては、元の記事を読んでいただくのが良いと思いますが、僕自身、仕事の関係もあり、この技術に非常に興味があります。

僕自身も「文字によるコミュニケーションの成立」についての考察やスキルアップを常日頃行っています。
というのは、僕の仕事はコンサルティングで、特に情報システムの調達支援はかなりの割合を占めているということが関係しています。
その中には、仕様書やRFPの作成支援というのもあって、同時にそれを受けたITベンダーからの提案書の評価も行うことになります。

巷では「RFPの書き方」とか「提案書の書き方」というようなセミナーや書籍はよく見かけますが、それらの本やセミナーがどこまで役に立っているのか、実際の仕事では満足の行く「おっ!これは!」と思うような提案がかなり少ないように思います(自分の担当だけ?w)。

その理由はいろいろと考えられます。
もちろん、仕様書に記載されている制約事項や条件が厳しすぎるために満足のいく提案にならないということもあるでしょう。

しかし、僕自身の経験から言うと、提案する側(つまり提案依頼書を読み取る側)の読み取りスキルの低さ(*1)に起因することが非常に多いのではないかという感覚を持っています。
(というわけで、弊社のセミナーとして「RFP・仕様書の読み方」というメニューを用意しています。企業向けセミナーなので、ご興味のある方はご連絡ください。…と、ちょっと宣伝w)

メラビアンの法則では、非言語によるコミュニケーションについて

バーバル(言語)が7%、ノンバーバル(非言語)は93%

の割合で相手に伝わるということが言われています(言語情報が軽視されているわけではないことに注意)。

対面でのコミュニケーションの場合、言語情報だけではなく表情や声のトーン、身振り手振りなど、様々な手段で情報を伝えられますし、何か違和感があれば、その場で確認することもできます。

しかし、メールを含めた文字だけによるコミュニケーションの場合、様々な情報がごっそりと落ちてしまうことが多く、それゆえにその限られた手段の中で適切に情報のやりとりをするスキルが求められます。

言語によるコミュニケーションというのは、一定の文化の中で培われた約束事であり、だからこそ人は社会や学校で、そのコミュニケーション手段について学び、スキルを上げていく必要があると言えるのではないでしょうか。

さて、暇空茜さんの認知プロファイリングに話を戻しましょう。

先程、紹介したnoteの中では、知能によって人をカテゴライズし、

  1. 知能下から20%の人
    →  基本的に文章を理解することができない
  2. 知能下から20~50%の人
    → 1文なら読めるが、複数の文章が読めない
  3. 知能上から10~50%くらいの人
    → 文章だけからきちんと情報を受け取ることは出来ないが、「自分の経験や知識に合致するものがあったり」「物証のようなわかりやすいもの」があれば、情報を受け取る事ができる」
  4. 知能上位10%の人
    → 文章だけから情報を読み取ることが出来て、それを判断出来る

と分類しています。

この分類が正しいと仮定してですが、少なくとも世の中の半数以上はまともに文章が読めないということが言えると思います。
(そして、僕の感覚でも恐らくそれは正しいです)

僕が思うに、上の分類の中の 2 が、かなり厄介で、暇空さんは

「発話者に味方するか」とか「自分にとって都合が良いか」をまず最初に決めつけて、そのあと自分に都合がいいところだけ読みます

と説明しています。

これも僕の感覚と全く一致していて、先程のRFPと提案書の関係でいうと、

RFPでは「こういうことを提案してください

と依頼をしているのに、

提案書には「俺たちのソリューションはこんなことができるぜ!すごいだろ!

ということが書いてある。
要するに、提案を依頼していることと提案内容が噛み合っておらず、自分たちの売りたいものを押し付けているだけの(自称)提案書がめちゃくちゃ多い(笑)。
暇空さんの言葉を借りれば、まさに

自分に都合がいいところだけ読みます

というやつです。RFPの中に見つけた、自分たちにとって都合が良いキーワードを好き勝手につなげて自分の頭の中でストーリーを勝手に組み立てて読んでいるとしか思えない。(*1)

閑話休題

4年ほど前に「言葉の理解とアフォーダンス」というブログを書いたことがあります。

昨年から実施していた、twitter上での心屋信者さんとの意見交換。 その中で、僕が信者さんのことを「決めつけている」ということで揉めたこ...

この中でも言葉の使い方についてコンテクストという言葉を使い、文章の理解というのは単語の理解だけではなく、文脈を鑑みた上で判断する必要があるということを書いているのですが、前提として基本的な言葉の意味を理解し、正しく使うことができるスキルを備えているというのは当然のことです。

ところで、国語辞典編纂者の飯間浩明さんが、「言葉が通じない人」についてまとめています。

https://togetter.com/li/1067350

  • ことばが通じない人(1) … 語句を理解しない
  • ことばが通じない人(2) … 語句の意味の理解が不正確
  • ことばが通じない人(2′)… 文脈的意味を理解しない
  • ことばが通じない人(3) … 表現意図を理解しない

どれも、言い得て妙と思えるものなのですが、(1)と(2)の間にあるものとして、「語句を間違えて憶えている」というものを追加したい(1′)。
(2)の変種と言っても良いのですが、例示には近い意味を不正確に理解しているというものが挙げられていたのに対し、全く違う意味や言い回し、世の中のどこにも無いような言葉を平気で使うという人を敢えて分類したいと思います。

もちろん、勘違いにより間違えて憶えていたというのが1つや2つあるというのは誰しもあり得ることですし、多少の間違いを取り立てて責めるというつもりも毛頭ありません。
ただ、世の中には、尽くといって良いくらい間違った言葉を使う人間がたまに見受けられます。そういった人間は日本語の能力が極めて低いので、書く能力も読む能力も低いように思えます。

正しく読めず、正しく書けない(伝えられない)

僕は、言葉は知性を表すと思っているので、発信者がどんなに自分をかっこ良い言葉で取り繕うとしていても、どこかでボロが出ると思っていますし、実際、それが暇空茜さんのいう認知プロファイリングだと思っています。
(まあ、(1′)の人は、認知プロファイリングなんて大仰なことを言わなくても、頭が良いように見せたいのか、変な言葉をたくさん使っているのですぐにわかるのですがw)

そして、知性の低い人の特徴の一つとして「短絡的」なことが挙げられると思います。

短絡的なので、すぐに物事わかった気になりますし、0か100かの思考に陥りがちです。
先程紹介した僕のブログの中でも

「こういう表現なら決めつけではない」「こういう表現は決めつけ」

という考えの例を紹介しましたが、当然、文脈など理解せず(できず)に文章を理解した気になります。

恐らくは、エセスピ系がよく「量子論では~」などと言っているのを見て、著名な物理学者に対して「あいつはエセスピ!」などと恥ずかしいことを言い出すはずです(笑)。

実際、似たようなことはよく見つけられます。

ノーベル賞を受賞した本庶佑氏が

「(科学誌の)ネイチャーやサイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割」

ということを語ったことがあります。

これは当然、自分の目で確かめることの大切さについて語っていることなのですが、これを自分に都合良く解釈し、

「だからスピリチュアルは正しい」

などというのは短絡的思考以外の何ものでもないでしょう。

もっとも、そういう人間は、そもそも人の言う事が理解できないですし、もっと言えば、恐らくは自分の言っていることすら、理解できず記憶もできていないので、自分が如何におかしなことを言っているかということを恥ずかしげもなく続けて生きて行くのだと思います。

多分、プライベートでも仕事でもやりっぱなしで反省もしないからスキルアップもしないと思いますし(笑)。そういう人とは仕事したくないし、任せられないなぁと思います。

会社員の頃はそのような日本語能力のない人間(そういうのに限って、自覚が無い)に振り回されましたが、これから先の社会ではどうなるんでしょうねぇ。

最初に紹介したブログに関して、Twitterでこのようなやり取りがありました。

今後の社会では、言語による適切なコミュニケーションが取れるということは、ますます稀有なスキルになっていくのかもしれません。

作家

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