生きてるだけで丸儲け

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いつも勉強させていただいているこちらのブログで「完璧主義が首を絞める話」という記事がUPされていました。

完璧主義者が、現状に満足せず、理想の自分になろうと努力することに対して「何かを渇望しなければならない地獄」にいると表現しています。

僕は、全然、完璧主義者ではないですし(高田純次並みに適当に生きてますw)、そんな自分だからこそ、努力し続ける人のことは、素直に「すごいなぁ~」と尊敬するのですが、完璧主義かどうかに関わらず、理想の自分と現状が乖離している人というのは、時々、辛くなることもあるんだろうなぁと思う。

まあ、大昔の話で言えば、自分も志望する学校に入れなかったり、できると思っていたことが上手く行かなかったりで、がっくりと落ち込んだりするということはもちろんあったわけで、あらゆることが自分の思い通りに行く人というのも、いるのかもしれませんが、そんなに多くはないだろうという気もします。

何かの目標に向かって、自己研鑽するということは、僕は素晴らしいことだと思いますし、現状に満足しきってしまって、自堕落な生活をするより、よっぽど良いと思いますが、一方で、この記事中で完璧主義者(と呼ばれている人たち)は、何を求め、何故それを求め、何を苦しむのか…とちょっと想像してみます(あくまでも自分の想像)。

求めているのは、遥か高みにある「理想の自分」
求める理由は人それぞれでしょう。
例えば、そういう自分になることによって、周りの人達から尊敬されるから
あるいは、そういう自分になることによって、周りの人達に何かをしてあげられるから
あるいは、自己満足。そういう自分になること自体が自分自身の満足に繋がるから

…などなど。

何となくですが、自己満足のためにやっている人、あるいは純粋に周りの人達に何かをしてあげたい(相手のために)ということで自己研鑽を続けている人は、そんなに苦しまないような気もします。
一方で、周りの人達から尊敬されるから、とか、周囲の人に何かしてあげられるというのが相手のためではなく、自己満足に過ぎない場合は、いつまでも心が満たされないという状況になってしまうのかもしれません。

先日、「世界幸福度ランキング」が発表され、日本はどんどん順位を下げていて2019年は58位でした。
まあ、いろいろと理由はあると思いますが、ひとつ言えるのは、日本人は自己評価がかなり低いんじゃないかという想像はつきます。

これって、日本の教育の中での特徴でもある「減点主義」が、かなり影響している気がします。

日本では、どんなに素晴らしい解答を考えついても、どんなに画期的なアイディアを思いついても100点がMAXです。120点や150点を貰えることはない。一方で、何か間違ったり足りないことがあると、どんどん点数は引かれます。
僕は、正しい評価をすれば人は正しく成長すると思っていて、減点主義が横行すると、当然、間違わないように冒険はしないようになりますし、前例に倣うことが多くなります。そうなるとイノベーションはどうしても起きにくくなる。

まあ、イノベーションの問題は、ちょっとおいといて、人が感じる幸福度のことを考えたとき、減点主義に則ってしまうと「完璧な自分」が100点であって、それができていない自分はダメなんだ…と短絡的に考えてしまう可能性はあるでしょう。

本当は、自分ができていること、できること、能力と、自分の存在そのものの価値というのは別に考えなければならないにも関わらずです。

「○○ができていないからダメな自分」
「△△ができるから偉い自分」

ということになってしまうと、人格そのものではなく、その人(あるいは自分)のスキル、能力、才能だけに価値があって、何かの事情(怪我や病気、老化など)によってそれができなくなるとその人には価値が無くなったということになりかねません。
(仕事や試合などの限られたシチュエーションの中でということではなくてです)

もし、減点主義ではなく

「生きてるだけで丸儲け」

という気持ちでいればどうでしょう。

生きていればOKです。
その他のことはおまけです。
100点が120点になり、150点になったらもちろん嬉しいですが、100点だったら御の字ですよね。それだけで既に価値があります。

実際のところ、生きてるだけで丸儲けという気持ちになるのは、なかなか難しい部分はありますが、僕は、自立できて、人に迷惑をかけないように生活できていればそれで100点だと思います。それ以上を目指して努力はしますが、できていることに目を向ければ必要以上に焦燥感にかられることもないですし、落ち込むことも無いと思います。
100点以上の部分は、自分の楽しみに使っても、他の人を助けても、協力しあっても良いんじゃないでしょうか。

とにかく、人の評価を気にするのではなく、自分自身を正しく愛するということが大切なんだと思います。
そして「足るを知る」ということ。

元々の老子の言葉では、

知足者富、強行者有志
「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」

となっています。
これは、今あることに感謝し、既に十分であることを理解している人が富める者であり、努力して行動する者は志を持っているということなのだと思います。

今の状態「で」良いのではなく、今の状態「が」良い。そして、志を持って行動をすれば心の渇望に悩まされることも無いのではないかな…と思います。

ところで、最初に書いた

「そういう自分になること自体が自分自身の満足に繋がるから」

ということですが、僕の好きなMASTERキートンという漫画で忘れられないセリフがあります。

「人間は一生、学び続けるべきです。人間には好奇心、知る喜びがある。肩書きや、出世して大臣になるために、学ぶのではないのです。では、なぜ学び続けるのでしょう?それが人間の使命だからです。」

僕は、学び続けること、知識欲というのは、人の本能のようなもので、それに従って学び続けるというのは、必ずしも悪いことではないと思いますし、そういう人は渇望感はあったとしても、ある意味、学び続けることが幸せなんじゃないかなぁとも思います。

まあ、知識を求めるあまり、メフィストフェレスと契約するのは止めておいた方が良いと思いますがw。

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プライドの高い女

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