自由であるということ・愛されているということ

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ブログで書きたいネタが溜まっていく…。

先日書いたブログのコメント

Dr. Qdechさんのいう自由は周りと協調しながら楽しくつながっていき社会全体に貢献しようという自由で、心屋さんの自由は周りから分離した、自立ともちょっと違う自由のように思いました。

というコメントをいただきましたので、改めて考えてみました。

私はブログでも良く書いていますが「自立」ということを大切にしています。
そして

自由であること=自立していること

とも考えています。

例えば、ものすごく俗な例で言うと

ある人が、すごく物欲が強くて、色んなものが欲しいとしましょう。
それで、その人が凄く頑張って仕事をして、お金を稼いで、自分の欲しいものが何でも買えるようになったとします。
これは、自由度が上がったと思います。

一方で、その人が他の人からいくらでも欲しいものを買ってもらえているとしましょう。
表面的な結果としては同じ状態になったかもしれません。
でも僕はこの状態を自由になったとは思いません。
何でも買ってくれる人がいなくなったら、その人は欲しいものが手に入らなくなっちゃうから。
これは自由でも何でもなく、生殺与奪を他の人に握られている状態にしか見えません。

同じように、好きなときに好きなところに旅行に行ける。
働きたくないときは、働かなくても食べていける
食べたいものをいくらでも食べられる

自分の力でできるようになったのであれば、とても尊敬できます。
でも、そうじゃなくて、単に周囲の人の厚意に頼って、その状況にいるだけなのであれば、やはりそれは自由だとは思いません。

どうせ愛されてる

という妄想を抱くのは個人の勝手ですし、恵まれた境遇に生まれた人もいるので、それはそれで良いでしょう。

「どうせ愛されてる」と言いたくなるように

「お金持ってるから」とか
「美人だから」とか、

条件付きで好きだというのは本当の愛とは言えないでしょう。
でもそれは「何をやっても良い」ということにはならない。

「そんなことをしないあなた」ということを信じて、相手を愛しているんだと思います。

何やっても許されるなんてのは、単なるサイコパスの思考パターン。

もちろん、社会に合わせてとか誰かに認められるために、無理して頑張り過ぎる必要もありません。
でも「誰かのために頑張る」とか「自分の役割を果たすために努力する」というのは、とても素敵なこと。

「今のままで良い」と怠惰に過ごすよりずっと良いと思います。

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