ぎなた読み

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「メールの文章に句読点をつけるとマナー違反」とかいう謎のマナーが出てきているらしい。

https://www.fnn.jp/posts/00047830HDK/201909021700_FNNjpeditorsroom_HDK

僕は古い人間なので(笑)、

  • 句読点は適切につける
  • 段落の始まりは1文字空けて、段を下げる(つーか『段落』っていうくらいだからね)

というのが常識で、学校教育できちんと教えていると思っていたのですが、意外とそうでもないんですかね。?
もっとも、ブログなんかで書いちゃうと、文頭の空白はシステム側で勝手に削除されちゃうことも多いんですけど…。

最初に紹介した記事を読むと、句読点をつけると相手側に対して

「わざわざ読みやすい文章にしてやってるんだ」

という“上から目線”になってしまうので失礼にあたるという考え方らしい。

ぶっちゃけ、個人的には笑っちゃうような配慮のような気がしないでもないのだが、「お疲れ様」と「ご苦労さま」の使い分けも実は年代によって違うという話もあるので、ひょっとしたら今後、浸透していくのかもしれないと思ったり、思わなかったり。

個人的には、形式的なマナーというものには、あまり関心がなくて、それよりもむしろ相手のことをどれだけ思いやっているかの方が重要だと思っている。
そういう意味では、句読点を適度に使うというのは、相手に対して読みやすい文章を提供したいという思いからであって、相手のことをバカにしているという気持ちからではないのではないかと思う。

タイトルの「ぎなた読み」というのは、

 「弁慶が、薙刀を持って」

というところを

 「弁慶がな、ぎなたを持って」

と区切る場所を間違えて読んでしまったことから生まれた言葉。言葉を適切に区切ったり、適度に漢字を交えるというのは、自分の伝えたいことを相手に正しく伝えるという意味でも、必要なことなのではないかという気がする。

浮浪雲という漫画でも、同じような話がありました。
うろ覚えですが、確か、句読点をつけるのに批判的なことを言った数珠屋に対して、浮浪雲が

「ふたえにまげてくびにかけるじゅずをつくってくれ」

という手紙を出すんですね。お金はいくらかかっても良いから…と。
それで出来上がってきた数珠を見て「こんなものを頼んだ憶えはない」と言うんです。
出来上がってきたのは、二重にして首にかける大きな数珠。対して、浮浪雲は

「頼んだのは、二重に曲げ、手首にかける数珠」

だと言います。「数珠屋さんは文章に点を打つのが嫌いだときいていたから」と。

まあ、これは単なる漫画の話ですが、相手に対する過剰な気遣いや見当外れの気遣いが、却ってお互いにとってデメリットになることはありそうです。
あと、勝手な脳内補完による「自分にとって」都合の良い解釈とか。

最初に書いた、句読点を省くという変な気遣いについては、「上から目線に見られるかも」と「自分が」思っているのか?(そして、自分が良い人に見られたいのか?)
あるいは、メールを受け取った側が「句読点が無いと文章が読めないと、自分のことをバカにしているんだろう」と感じるのか、それぞれ問題がありそうです。
少なくともそのような文化(?)は、まだまだ一般的ではないので(と、信じたいw)、メールを出す側も受け取る側も、単なるローカルルール(あるいは自分の勝手な思い込み)と考えて、周りに押し付ける必要はないんじゃないでしょうか。

個人的な感想を言えば、句読点のあるメールが失礼なんて思っている人は、まともな文章が書けない、あるいは、そういうやり取りをしたことが無い人だと思いますよ。
メールの最初に季節の挨拶を入れたり、アドレス帳に「様」とか入れておく必要は無いと思いますけどね。

コミュニケーションは難しいなぁ(笑)。

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