言葉の重みは人によって違う

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Twitterでこのような発言を見ました。

ちなみにこの言葉を発したのは、箕輪厚介という「今もっともヒットを生み出す編集者」と言われている人。実業家でもあるらしいです。

この【死ぬこと以外かすり傷】っていう言葉は、彼のチャレンジ精神を表している言葉だと思いますが、言葉の意味するところは、それを語る人、聞く人によって違います。

この言葉、僕自身は違和感を感じないし、自分で言っている分には、それ程、問題を引き起こす言葉ではないと思います。

ただ、あくまでも自分自身を鼓舞するための言葉として使うべきであって、(自分の意思表明や自己紹介であっても)周囲に言うようなことでもないし、ましてや人に強要するようなことばではないと思います。

これは、KAIWAINGが、他人に対して「迷惑をかけてもいい」ということにも通じていて、それは自分(や第三者)が言うことではなく、あくまでも迷惑をかけられた側が言うこと。

結局、人が人として使うべき言葉、使っても良い言葉というのは、立場によって違うのであって、それを立場もわきまえずに使う人達がいるからおかしなことになるのだと思います。

自分が言葉を発する時に、その言葉を使う必要があるのか?使える立場にあるのかはしっかりと考えた方が良い。


僕が最近、注目している漫画に

「ここは今から倫理です。」(雨瀬シオリ 著)

というものがあるのですが、その中の一つのエピソードに、女子高生が性的暴行を受けてしまって自殺を図るシーンがあるんですね。

で、飛び降りようとしている子に対して、優等生の同級生が

「命の重さに比べたらちっちゃいことじゃないか!!」

と呼びかけるのですが、それに対して倫理の先生が

「違います!!」

と叫び、こう続けます。

「恋に破れても…
家族が死んでも いじめられても
就職に失敗しても 仕事がイヤでも
お金がなくても
人生が…退屈でも!!

それがどんな理由でも

命に換わるほど重い絶望になるんです!!」

ここは今から倫理です

人の悩み、苦しみ、辛さというのは、他の人は想像するしかない。
だからこそ、「人に迷惑をかけていい」などということを安易に口にすべきではないし、その人の身に降り掛かっている問題を
「ガマンして、やりたいことをやっていないからだ」
などと無責任に言うことはできないと思うのです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学・思想情報へ
にほんブログ村

けが

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする