今回は疑似科学の代表格(?)、「水からの伝言」について。
これだけあちこちに批判記事、否定記事が出ているにも関わらず、どういう訳か、今でもこの話について信じている人がかなりいるようだ。
知らない人のために、簡単に説明しておくと
「ありがとう」等の言葉を見せた水からは綺麗な結晶ができ、水道水や「ばかやろう」等の言葉を見せた水からはいびつな結晶ができる
という主張を写真つきで掲載した書籍です。まあ、疑似科学というよりもオカルトですね…。
内容の評価については、さまざまなサイトで実施されていますので、ググっていただくとして、一応、しっかりした評価がなされているサイトを2つ程、紹介しておきます。
- 「水からの伝言」を信じないでください
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/ - 疑似科学とされるものの科学性評定サイト
http://www.sciencecomlabo.jp/health_goods/water_business.html
多分、「良い言葉」を使うと、(自分にとって)良い結果が出るという願望から、世の中に受け入れられやすい(受け入れてしまうひとがいる)ということなのだと思うが、この書籍には、実に多くの問題が含まれている。
ちなみに先に述べておくと、この著者(江本勝)自身が、AERAのインタビューに対して本書を
「ポエムだと思う」「科学だとは思っていない」
と語り、更には
「僕は科学者ではない」「今後、周りの研究者によって科学的に証明されていくと思う」
ということを言ってるようだ(以上、Wikipediaより)。
正直言えば、個人的にはこの「僕は科学者ではない」という言い訳が、某心屋氏の
「カウンセラーではない」「心理学とか勉強してない」
という言い訳に被ってしまって、ロジックの破綻以前に、人間的に信用できない。
さて、この主張については、先程も書いたように、多くの人が評価しているし、そもそも検証以前の問題ではあるのだが、ちょっとだけ、私見を追加しておこう。
まず、このような「良い言葉」「悪い言葉」ということ自体に、あまり意味はなく、単語自体が文脈から判断すべきものであり、以前、「心理学と文化のこと」という記事の中でも書いたとおり、言葉そのものは絶対的なものではなく、その背景、文化によっても意味合いが大きく変わってくるものなのだ。そのような事柄を無視し、単に良い言葉(と試験者が思う)言葉を水に「見せる」ことによって、水に影響を与えるという主張をしているということ一つを取っても、信じるに値しないということは言えると思う。
そもそも上の記事で紹介している「ピダハン」という部族には、「ありがとう」という言葉自体が無い。彼らにとっては、良いものでも悪いものでもないのだ。
もう一つ。
これも以前書いた「占いの的中率と前提条件」という記事の中で、多くの占いは
- バーナム効果
- 確証バイアス
- 予言の自己成就
で説明できるということを書いたが、ここでは江本氏自身が言っているように、
複数の写真の中から取捨選択した「その水の性質をもっともよく表していると思われる結晶」
を実験結果としていて、まさに確証バイアス…以前に、自分の主張ありきの恣意的選択をしているに過ぎないと言える。読者による追試験に関しては、確証バイアスということが言えるだろう。全く結果が出ていないような実験結果もあちこちにあるし…。
ところで、このように江本氏の「水からの伝言」については、否定的な見解を示している自分ですが、人の持つ意志・意識が水に与える影響は無いのか?あるのか?と聞かれれば、それについては、「有る」とも「無い」とも言えない。
「良い言葉を水に見せて」などということは、はっきりと否定できるが、実は人間の意識が水(というか、最終的には空間そのもの)に何らかの影響を与える、あるいは周囲に何かの影響を残すということは、ひょっとしたらあるのかも?くらいには考えている。
そういう意味では、良い言葉・悪い言葉を水が判断して、きれいな結晶ができるということは無いが、実験者の意識自体が対象物に影響を与えるということはあるかもしれない。
(とはいっても、それで「きれいな」結晶ができるかどうかということについては懐疑的ですが…)
風水では、
「氣 乗風即散 界水即止」
氣は風に乗ずれば即ち散じ、水に界(へだ)てられれば即ち止まる
と言われています。
つまり、ここでは「氣」という言葉を使っていますが、空間に存在するある種のエネルギーとか波動のようなものが、空気や水のようなもので流される物質なのかもしれませんし、それらを媒体とするような性質を持っているのかもしれません。
人から、あるいはその他の森羅万象がその「氣」を発している、あるいは受け取っているとしたなら、水に何らかの影響は与えるかも…しれないです。
逆に言えば、そのような「氣」の存在を前提とすれば、空間・モノ・人…など、あらゆるものに対して、「気分が良くなる」「調子が良くなる」逆に「ちょっと嫌な感じがする」「体調が悪くなる」のような影響を相互に与えているということも考えられるのかもしれません。