あんまり誰かを崇拝するということは、自分の自由を失うことなんだ

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僕はここ3年程、毎月、自分の座右の銘や、気に入っている名言、面白かった本などをシェアしあう集まりを主催しています。

タイトルに書いた言葉は、1年半程前に僕が紹介した言葉です。

これは、皆さんも御存知のムーミンに出てくるスナフキンの言葉です。

万が一、知らない人のためにスナフキンのことを紹介すると

ムーミントロールの親友。
ヒトに似た姿だが、手が4本指、しっぽが描かれた挿絵も存在するなど明白にヒトとは異なる。
自由と孤独、音楽を愛する旅人。
クールで物事を所有することを嫌う。
冬の来る前に南へ旅立ち、春の訪れとともにムーミン谷に戻ってくる。

初期のアニメーション『ムーミン』では理知的で静かな大人という雰囲気のキャラクターである。 –Wikipediaより抜粋

というキャラクターです。
余談ですが、ギタリストには、スナフキンが弾いているギターの曲を演奏してみたくてギターを始めたという人も結構いるらしい(笑)。

さて、彼の言った

あんまり誰かを崇拝するということは、自分の自由を失うことなんだ

という言葉についてです。

人間がこの世の中に生まれてから、大きなもの、小さなものと様々な争いがあります。
では、人は何故争うのでしょう?

食料や土地を手に入れるためだったり、自分の権力や権利を守るため、手に入れるためなどいろいろとありますが、究極には「自由を得るために」争うのだと思います。

では、改めて「自由」とは何か?について考えてみましょう。

このブログの中では、何度も「自立」について書いていますが、もうちょっと突き詰めて考えてみると、自由というのは

他からの束縛を受けず、自分の思うままに振る舞うこと

なのかなと思います。

では、そのためには何が必要なのでしょうか?

自由について、次の2つに分けて考えてみたいと思います。

  • 物理的自由
  • 精神的自由

まずは、物理的自由から。

物理的に自由になるといっても、細かく言えば様々な制約はありますが、実は多くのことはお金と時間があれば解決します。
(だからこそ、お金を欲しがる人が多いんでしょうね)

一方、精神的自由はどうでしょう?

今、我々が住んでいる日本では、思想の自由が認められています。
(もちろん、人に迷惑をかけない範囲でです)

では、皆、精神的に自由か?といえば、どうでしょう?

実は、この「精神的自由」というのは認められていたとしても、その実践というのは意外と難しい。

それを妨げるのは、社会的な慣習だったり、通念だったり、あるいは、それまでの人生経験や教育などからも大きく影響を受けます。

「洗脳」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?

「〇〇しなければならない」、「〇〇してはいけない」

そういう考え方を外部から植え付けられ、その思考に囚われてしまうことですが、ちょっと考えてみて下さい。

今のあなたの考えは、本当にあなた自身の考えでしょうか?

もう一度、スナフキンの言葉を振り返ってみましょう。

あんまり誰かを崇拝するということは、自分の自由を失うことなんだ

あの人が言っていることだから」と、考えることを放棄してしまってはいないでしょうか?

以前「素直であるということ」という記事で、素直であるということは、盲目的信頼ではないということを書きました。

素直であるということは、意に反して他人の犠牲になることを甘んじて受け入れることでもありません。

素直であるということは、自分の価値を認め、自分を大切にできるということなのだと思います。

自分を大切にすることができて、はじめて他人も尊重できる

のだと思います。
(これを利己主義と捉えられてしまうと、また違ってくるのですが…)

時々、自分自身の考えに耳を傾け「自分は何故、このように考えているのだろう?」と自問してみることが、自由につながってくるのだと思います。

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スナフキン

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コメント

  1. みよん より:

    初めまして。
    ゆりさんのブログにコメントされてたのをみまして来てみました。
    まだ少ししか読んでいませんが、いくつか頷けるところがあり、これからじっくり読ませて頂こうと思っています。

    スピリチュアルは、日本スピリチュアルヒーラーグループ繋がりからスピリチュアル普及会という組織と手紙のやり取りしていました。その組織が言っていることにとても矛盾を感じ、感じながらも、離れたら病気が悪化するのではないか?という恐怖から離れられず。
    またエゴが強くなり、巷のスピリチュアルブームに批判するようになってからもう心に嘘がつけないと離れました。
    それからは、独学やメルマガだけに絞ってきました。
    今も完全に離れたらとはいえないし、神仏にたいする信仰(感謝)は捨てたくありませんが、
    実際、組織関係のニューズレターなど関連ものを処分したら病気が治り、あの不安は何だったのだろうと笑わずにはいられませんでした。

    スピリチュアルリーダーたちだけでなく、こういったサイトに対しても依存しないように努めています。
    自分自身に聞くこと、それが一番の答えですよね。
    今一番必要なことだと痛感して読ませていただきました。
    他にも大切な言葉の数々、読ませて下さいね☆

    長々とお時間とらせて申し訳ございません。
    また宜しくお願い致します(o^-^o)

    • Dr. Qdech より:

      みよんさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。

      >神仏にたいする信仰(感謝)は捨てたくありませんが

      捨てる必要は無いと思いますよ。
      「ありがとう」と「すみません」】という記事にも書きましたが、口先だけではなく、何に感謝しているのかを感じ、信仰するのは、何も問題無いと思います。

      問題は、私のブログのあちこちに書いていますが「依存」だと思います。
      みよんさんが、「離れたら病気が悪化するのではないか」と恐怖感を感じていたのが、まさに依存ですよね。
      スピ系の何が問題か?」という記事が、一番、わかりやすいかな。

      いろんな人の意見を聞いたり、本やブログを読むのは、全く悪いことではありません。
      ただ、それらの情報は、あくまでもネタであり、答えではないということです。

      私のブログは、割と好き勝手なことをいろいろ書いていますが、ネタとして使えそうなところは、ぜひ読んでいって下さればと思います。

      今後もよろしくお願いします。

  2. みよん より:

    腑に落ちるお経ありがとうございます☆
    まさに依存ですよね。
    当時は、ネットで調べたり外出できる環境ではなく情報無知もありましたが、洗脳されたり自分の弱さを知りました。
    離れるきっかけが、震災中に言われたことで、原発事故で避難とかの最中、「読書会に来ませんか?」と。
    読書会やシルバーバーチが問題を解決してくれるかーと反発し、それから一切離れてしまいました。

    今、本当に自由を感じています。
    ゆりさんのサイトやこちらの発信を読みたいという気になったのは、当時の自分の心境と照らし合わせたい気持ちからですが、
    いい経験させて貰えたという気持ちです。

    ご親身に聞いて下さり、アドバイスまでありがとうございます(o^-^o)
    ゆっくりじっくり読ませて頂きます。

  3. みよん より:

    前回のコメントで
    腑に落ちるお経 ➡腑に落ちるお言葉
    と間違えてしまいました。
    とても失礼な間違いをしてしまい申し訳ございません。